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スティーブン・サウス
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スティーブン・サウス(Stephen South、1952年2月19日 - )は、イギリスの元レーシングドライバー。1977年のイギリスF3選手権チャンピオン[1]。
媒体によって「ステファン・サウス」と記された場合もある。
経歴
フォーミュラ・フォードよりレースデビュー。参戦初年度の1973年に5勝を挙げ、ウェラ・フォー・メン・チャンピオンシップで3位、BOCシリーズで4位。1974年には11勝を挙げ、BOCチャンピオンシップで2位を獲得した[2]。
1975年にイギリスF3へステップアップし、シリーズランキング10位[2]。
1976年に引き続きイギリスF3に参戦し、BARC・BP・スーパー・ビスコ・イギリスF3選手権でシリーズ4位、BRDC・シェルスポーツ・イギリスF3選手権でシリーズ6位。9月26日にマロリー・パークで行われたノンタイトル戦・グリフィン・ゴールデン・ヘルメット・トロフィーで優勝を飾っている[3]。
1977年にイギリスF3参戦3年目を迎え、ブランズ・ハッチで2勝、スネッタートンとマロリー・パークで優勝を記録し、BRDC・シェルスポーツ・イギリスF3選手権でシリーズチャンピオンを獲得。同年には鈴鹿サーキットで開催されたJAFグランプリにも出場し、結果は7位[1][4]。
1978年にヨーロッパF2選手権に参戦。最高位はホッケンハイムで記録した4位。サウスの走りにロン・デニス率いるプロジェクト4・レーシングの目に留まり、翌1979年にプロジェクト4チームから参戦し、ホッケンハイムで優勝し、シリーズランキング6位[5][6]。
1980年、トールマンからヨーロッパF2への参戦を予定していたが、南アフリカでの予選初日に骨折し欠場が決まったアラン・プロストに代わって、急遽マクラーレンからアメリカ西グランプリにF1スポット参戦したが、結果は予選落ちに終わった。チームメイトのジョン・ワトソンよりも約4秒遅れのタイムだった[7]。
F1挑戦から2ヶ月後、ニューマン・ハース・レーシングよりカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am選手権)に参戦。第3戦モスポートで2位、第5戦ロード・アメリカではポールポジションを獲得するなど活躍していたが、第7戦トロワ=リヴィエールでの練習走行中に大クラッシュを喫し、左下腿を切断する重傷を負い、レーシングドライバーを引退した[7][8]。
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レース戦績
イギリス・フォーミュラ3選手権
B.A.R.C./ British Automobile Racing Club F3選手権(BPシリーズ)
B.R.D.C. / British Racing Drivers Club F3選手権
ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権
全日本F2000選手権/全日本F2選手権
ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権
フォーミュラ1
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伝記
2017年3月、パフォーマンス・パブリッシング社より刊行された『Stephen South: The Way it Was』(著 - ダレン・バンクス)が発売された。
脚注
外部リンク
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