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セバスティアン・フレイ
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セバスティアン・フレイ(Sébastien Frey、1980年3月18日 - )は、フランス、ローヌ=アルプ地域圏オート=サヴォワ県トノン=レ=バン出身の元サッカー選手。ポジションはGK。イタリア・セリエAのインテル、ヴェローナ、パルマ、フィオレンティーナ、ジェノア、トルコ・シュペルリガのブルサスポルなどに所属した。
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経歴
1997年にASカンヌでプロデビュー。1998年に18歳でインテルへ移籍したが、名手ジャンルカ・パリュウカがいたため出場機会に恵まれず、1999年からエラス・ヴェローナへレンタル移籍。
2000年にインテルに復帰し正GKを務めたが、2001年にフランチェスコ・トルドが加入したため、ジャンルイジ・ブッフォンの後任者を探していたパルマFCへ移籍。クラウディオ・タファレルとのポジション争いを制してレギュラーとして活躍。パルマでは中田英寿とチームメイトであった。
2005年、フィオレンティーナへレンタル移籍。移籍後はクリスティアーノ・ルパテッリからポジションを奪い、シーズン終了後に完全移籍した。その後も正GKとして活躍し、UEFAチャンピオンズリーグではリヴァプールFCを抑えて決勝トーナメントに進出したが、ベスト16でバイエルン・ミュンヘンに敗れた。2010-11シーズンは怪我の間にセルティックFCから加入したアルトゥール・ボルツにレギュラーを奪われ、11試合の出場に留まった。
2011年7月29日、ジェノアCFCへ移籍。2011-12シーズンはリーグ戦全38試合にフル出場し、リーグ最多セーブ数を記録するなど存在感を示したが、同時にリーグ最多の69失点を喫し、チームも17位と低迷した。
2013年7月15日、3年契約でトルコのブルサスポルに移籍[1]。
代表
フランスU21代表では4試合に出場。2004年11月17日のポーランド戦に向けてフル代表に初選出されたが出場機会はなかった。
2007年11月21日、EURO2008予選最終節のウクライナ戦で念願のフル代表デビューを飾った。
2008年8月22日、代表引退を発表した。当時の代表スタッフに対する不満を理由とし、将来状況が変わった場合、引退撤回も有り得ると話していた。[2]
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人物
- 祖父のアンドレ・フレイは、フランスで有名だったサッカー選手であり、父のレイモン・フレイもプロのゴールキーパーだった。弟はACキエーヴォ・ヴェローナ所属のDFニコラ・フレイである。
- イタリアの至宝ロベルト・バッジョの紹介で、2006年、SGI(創価学会インターナショナル)に入会。2007年3月25日にはフィレンツェ市から池田大作SGI会長への「平和の印章」授与式にも列席した[3]。
- 私生活では、2人の息子の父親である。
個人成績
脚注
外部リンク
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