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デニス・ミッチェル
アメリカの陸上競技選手 (1966 - ) ウィキペディアから
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デニス・ミッチェル(Dennis Allen Mitchell、1966年2月20日 - )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身の陸上競技選手。1992年バルセロナオリンピックの銅メダリストである。
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経歴
ミッチェルが22歳のとき初めて出場した1988年ソウルオリンピックでは、100mで10秒04と、3位のカルヴィン・スミスに100分の5秒届かず4位に終わる。さらに優勝候補であった4×100mリレーでも、予選でアメリカチームはバトン引継ぎミスで決勝に残れず、ミッチェルは金メダルを逸している。
1989年、ミッチェルは全米学生選手権の200mを制す。1991年の東京の世界選手権の1か月前、スイスのチューリヒの競技会で、ミッチェルとマイク・マーシュ、リロイ・バレル、カール・ルイスで構成されたアメリカチームが37秒67の世界新記録(当時)を樹立。前年にフランスに奪われていた世界記録を取り戻した。1か月後の世界選手権では、ミッチェルは100mで9秒91の自己ベストを出し銅メダルを獲得。さらに、ミッチェルとアンドレ・ケーソン、バレル、ルイスで挑んだ4×100mリレーでは、先月の世界記録をさらに更新する37秒50の世界新記録(当時)で金メダルを獲得した。
1992年、ミッチェルは初めて全米選手権を制した(1994年・1996年も制している)。1992年バルセロナオリンピックの100mでは、イギリスのリンフォード・クリスティ、ナミビアのフランク・フレデリクスに次いで銅メダルを獲得するにとどまった。しかし、ミッチェルとマーシュ、バレル、ルイスで挑んだ4×100mリレーは、37秒40の世界新記録(当時)で金メダルを獲得した。
1993年のシュトゥットガルトの世界選手権100mで、ミッチェルは世界大会3年連続となる銅メダルを獲得。4×100mリレーも前年の世界記録(当時)と並ぶ37秒40で3大会連続の金メダルとなった。
1995年のイェーテボリの世界選手権は100m予選で故障し途中棄権する。翌年の1996年アトランタオリンピックでは、100mに出場したが9秒99で、ソウル大会と同じく惜しくも4位に終わった。4×100mリレーにも出場したが、100mの金メダルのドノバン・ベイリー擁するカナダの前に銀メダルを獲得するにとどまった。
1998年、ミッチェルは、高レベルのテストステロンが検出されたため、IAAFから2年間の出場停止処分を下される。彼は、「ビール5本と妻と4回以上行ったセックスが原因である」と反論し、アメリカの陸連は受け入れたが、IAAFからは却下された。
2001年、ミッチェルはエドモントンの世界選手権に出場。4×100mリレーで1位となり金メダルを獲得したが、後に、メンバーの一人であったティム・モンゴメリが薬物違反で失格となったため、失格となった。
スタート前の独特のパフォーマンスが特徴的で(奇声を発する、変わったダンスをするなど)日本ではそれなりに人気があったが、同じ組で走る選手たちは不満だったようである。
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自己ベスト
- 100m - 9秒91 (1991年)
主な実績
外部リンク
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