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デューハーストステークス
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デューハーストステークス(Dewhurst Stakes)は、イギリスのニューマーケット競馬場で10月に行われる競馬の競走。
格付けは最高格のG1で、イギリスの2歳戦としては最も賞金が高い。イギリス国内にとどまらず、ヨーロッパの2歳戦のなかでも特に重要とされており[1]、全欧から選出されるカルティエ賞(1991年創設) で、1991年から2013年までの23回中9回がこの競走の勝馬がヨーロッパ2歳チャンピオンに選ばれている。
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概要
要約
視点
イギリスには、G1に格付けされている2歳牡馬戦が3つあるが、デューハーストステークスはその中でも最も賞金が高い競走である。この競走の上位馬は翌年のクラシックで中心視されるようになる。イギリス国内で最高というだけではなく、ヨーロッパの2歳戦のなかでも特に重要な競走と位置づけられてきた[3][4][1]。
デューハーストステークスは、トーマス・ギー(Thomas Gee)が1875年に創設した。創設から1912年までは「デューハーストプレート(Dewhurst Plate)」というプレート競走[注 1]だった。「デューハースト」というのは、ギーがイースト・サセックスのワドハースト(en:Wadhurst)に所有していたデューハースト牧場(Dewhurst Stud)に由来する[3][4][5]。
デューハーストプレートは、創設当初の4年間の勝ち馬がすべて翌年のクラシックを勝ち、重要な2歳戦としての価値を確立した。その4頭は次の通り[5][6]。
- 1875年 - Kisber(キシュベル) … 翌年のダービー優勝
- 1876年 - Chamant … 翌年の2000ギニー優勝
- 1877年 - Pilgrimage … 翌年の2000ギニー優勝
- 1878年 - Wheel of Fortune … 翌年の1000ギニー、オークス優勝
その後も、デューハーストステークス優勝馬からは多くのクラシック勝馬が誕生している。イギリスクラシック三冠を達成したものだけでも、オーモンド、ロックサンド、ニジンスキーがいる。また、競走馬として大成しただけでなく、種牡馬としても極めて重要な活躍を果たしたものも少なくない。たとえばイギリスのチャンピオンサイヤーとなったものとして、オーム、セントフラスキン、バヤルド、レンバーグ、ハイペリオン、クレペロ(en:Crepello)、ニジンスキー、ミルリーフがいる。ほかにも、アメリカでチャンピオンサイヤーになったメドラー(en:Meddler)、日本でチャンピオンサイヤーになったレヴューオーダー[注 2]もデューハーストステークスの優勝馬である[3][7]。
近年では2012年の優勝馬ドーンアプローチが翌年2000ギニーを制しているほか、2004年のシャマルダルが翌年のフランスダービーを、2005年のサーパーシー(en:Sir Percy)が翌年のイギリスダービーに勝っている。また、ロックオブジブラルタル、フランケルのように、2000ギニーを勝った後、中・短距離で目覚ましい活躍をみせたものも出ている[3][4]。
中東勢とデューハーストステークス
1986年にドバイのシェイク・モハメドがアジダル(en:Ajdal)を出走させ、優勝した。その後しばらく中東勢が躍進した[5]。
- 1986年から2000年までの優勝馬主[5][7]
- 1986年 アジダル - シェイク・モハメド
- 1987年 中止
- 1988年 シーニック(Scenic) - シェイク・モハメド
- 1989年 (3着 シェイク・モハメド)
- 1990年 ジェネラス - ファハド皇太子(en:Fahd bin Salman bin Abdulaziz Al Saud)
- 1991年 (2着ファハド皇太子)
- 1992年 ザフォニック(Zafonic) - ビン・アブトゥッラー(サウジアラビアの王族)
- 1993年
- 1994年 ペニカンプ(Pennekamp) - シェイク・モハメド
- 1995年 アルハース(Alhaath) - マクトゥームファミリー
- 1996年 インコマンド(In Command) - マクトゥームファミリー
- 1997年 ザール(Xaar) - ビン・アブドゥッラー
- 1998年 ムジャヒド(Mujahid) - マクトゥームファミリー
- 1999年 ディスタントミュージック(Distant Music) - ビン・アブドゥッラー
- 2000年 トブグ(Tobougg) - マクトゥームファミリー
スポンサー面でも近年は中東勢が突出している。1998年にサウジアラビア航空(現サウディア)がデューハーストステークスのスポンサーになったのをはじめ、2000年から2008年はシェイク・モハメド殿下のダーレーグループ、2009年はマクトゥーム家が経営する高級ホテルグループ・ジュメイラがスポンサーとなって賞金が30万ポンドを超えた[8]。2010年からはドバイそのものがスポンサーになり、「ドバイ・デューハーストステークス」と銘打っている。イギリスの2歳戦のなかでの最高額賞金は、こうした中東勢に支えられている[5][7][1]。
2014年の賞金36万ポンド[注 3]は2歳戦のなかで突出しており、同じイギリスの2歳G1であるフューチュリティトロフィー(20万ポンド)、ミドルパークステークス(18万ポンド)や、G2ジムクラックステークス(20万ポンド)、スーパースプリント(23万ポンド [9])などと比べても10万ポンド以上の差がある。
デューハーストステークス当日には、ドバイが主催する「ベストドレッサー賞(Best Dressed Racegoer)」も行われる。観客の中から2名が選出され、受賞者には翌年2月のドバイ国際競馬カーニバルに招待され、ジュメイラグループのザメイダンホテルに宿泊できる[5][1]。
2011年の2歳戦のスケジュール変更
デューハーストステークスは、長い間、ニューマーケット競馬場で10月中旬に行われる「チャンピオン開催」の2日目の目玉競走だった。この開催の中核となるのが、イギリスの一流馬がシーズン最後に出走するように企画されたチャンピオンステークスだった。
ところが近年、中長距離の一流馬は、10月初旬のフランスの凱旋門賞から、アメリカやアジアの高額賞金競走へ転戦する傾向があり、イギリスではチャンピオンステークスが本来の意図に適う出走馬を集められるよう、大きく日程を調整することになった。
その結果、チャンピオンステークスは日程を変えてアスコット競馬場で行うことになり、あわせて短距離から長距離までの各部門の「チャンピオン戦」を一日に集中して行う「ブリティッシュ・チャンピオンズデー」が創設された[10]。
もともとチャンピオンステークスが秋シーズンの最大のイベントだったニューマーケット競馬場では、そのイベントをアスコット競馬場へ放出する代償として、10月上旬に主要な2歳戦をまとめて一日で行う「フューチャー・チャンピオンズデー(Future Champions Day)」を創設することになった。そのために、従来のミドルパークステークスに加え、デューハーストステークス、2歳牝馬G1のフィリーズマイル[注 4]も加えて行われることになった[11]。
これにより、以前はミドルパークステークス(10月初旬)とデューハーストステークス(10月下旬)の両方に出走することが可能だったのだが、変更後はどちらか一方にしか出走できないことになった。
この大改革は、翌2012年以降、見直しが重ねられており、フューチャー・チャンピオンズデーで行われる競走の入れ替えや日程の変更が行われている。2014年は、フューチャー・チャンピオンズデーは10月中旬に戻り、アスコット競馬場のチャンピオンズデーの前日に行うこととなっている。この一連の改革はまだ進行中であり、まだ固定化されていない[12][13][14]。
アメリカのブリーダーズカップ・チャレンジシリーズとの関連では、2011年にデューハーストステークスはシリーズの1つとなり、優勝馬にはブリーダーズカップジュヴェナイルターフへの優先出走権が与えられることになった。しかし2011年の優勝馬パリッシュホール(Parish Hall)はこれを行使しなかった。2012年以降はこのシリーズから脱したため、同シリーズに加わったのは2011年だけとなった。
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歴代優勝馬
要約
視点
- 「*」は日本輸入馬。国際レース出走などの一時的なものも含む。
- 略称は下記の通り。
- 翌年の2000ギニー優勝馬に「★」
- 翌年のダービー優勝馬に「◎」
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脚注
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