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トラヴァーズステークス
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トラヴァーズステークス (Travers Stakes) は、アメリカ、ニューヨーク州にあるサラトガ競馬場のダートコース・距離1マイル1/4 (10ハロン・約2012メートル)で行われる、3歳馬限定の競馬の競走である。
アメリカクラシック三冠に次ぐ価値のある競走として位置づけられ、開催時期からミッドサマーダービー(Midsummer Derby・真夏のダービー)の別名でも呼ばれている。
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概要
1864年創設の、アメリカ合衆国の競馬における最古の競走である。競走名はサラトガ競馬場の初代場長であったウィリアム・トラヴァーズから取られたものである。
出走条件は3歳限定だが、アメリカクラシック三冠の各競走と同様に騸(せん)馬、および牝馬の出走も可能である。例年8月下旬に行われ、その開催時期から「ミッドサマーダービー」の愛称を持つ競走である。一時期は競走名そのものがトラヴァーズミッドサマーダービーとなっていた頃もあった。
賞金額も夏季開催の競走のなかでも群を抜いて高額で、1999年以降はベルモントステークスと同額の総賞金100万ドルが用意され、現在は125万ドルとなっている。
優勝馬の馬主にはティファニーによってデザインされた金メッキ製のトロフィー「マンノウォーカップ(the Man O'War Cup)」が贈られる[2]。この贈呈式は、1920年に優勝したマンノウォーの馬主であったサミュエル・リドル夫人が優勝の記念に寄贈したのが始まりで、以後も毎年リドル家の手によってマンノウォーカップの複製が手渡されている[2]。また、優勝馬には馬装具として、およそ1,500本の赤と白(サラトガ競馬場のイメージカラー)のカーネーションで飾られた馬衣(ブランケット)が掛けられる[2][3]。これは「フローラルブランケット(floral blanket)」といって、サラトガ競馬場の名物の一つであり、ホイットニーハンデキャップでも行われる[3][注 1]。
サラトガ競馬場の内馬場の池には1926年からカヌーが浮いているが、1961年以降このカヌーにはその年のトラヴァースステークス勝ち馬の勝負服の柄が翌年まで1年間描かれるようになった。
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歴史
要約
視点
- 1864年創設:サラトガ競馬場・距離1マイル3/4(約2800m)で行われる
- 1874年:1着同着で決勝戦を施行
- 1890年:距離を1マイル1/2(約2400m)に変更
- 1893年:距離を1マイル1/4(約2000m)に変更
- 1895年:距離を1マイル1/8(約1800m)に変更
- 1896年:開催中止
- 1897年:距離を1マイル1/4(約2000m)に変更
- 1898年・1899年・1900年:開催中止
- 1901年:距離を1マイル1/8(約1800m)に変更
- 1904年:距離を1マイル1/4(約2000m)に変更
- 1911年・1912年:開催中止
- 1915年:1着入線のトライアルバイジュリー(Trial By Jury)が最下位に降着、レディーロサ(Lady Rotha)が繰り上がり優勝
- 1927年:競走名を「トラヴァーズミッドサマーダービー(Travers Midsummer Derby)」に変更
- 1930年:アメリカ三冠馬であるギャラントフォックスが、単勝101倍の大穴ジムダンディに敗れる大波乱
- 1933年:競走名を「トラヴァーズステークス」に戻す
- 1941年:アメリカ三冠馬である、ワーラウェイ(Whirlaway)が優勝をし、スーパーフェクタ(四冠)達成[2]
- 1943年:施行場所をベルモントパーク競馬場に変更
- 1946年:施行場所をサラトガ競馬場に変更
- 1973年:グレード制が導入され、G1競走として設定される。
- 1977年:1着入線のランダスティーラン(Run Dusty Run)が2着に降着、ジャトスキ(Jatski)が繰り上がり優勝
- 1978年:1着入線のアファームド(Affirmed)が2着に降着、アリダー(Alydar)が繰り上がり優勝
- 2008年:シャドウェルファームが協賛を開始
- 2012年:アルファ(Alpha)とゴールデンチケット(Golden Ticket)が同着優勝。
- 2020年:新型コロナウイルス感染拡大の影響でケンタッキーダービーが9月初旬に移動したため施行時期が8月8日に変更された。
過去牝馬の優勝はMaiden(1865年), Ruthless(1867年), The Banshee(1868年), Sultana(1876年), Liza(1895年), Ada Nay(1903年), Lady Rotha(1915年)の7頭。
不正疑惑
馬券の発売がまだブックメーカー方式が主流であった頃の、1921年のトラヴァーズステークスに関して、出走馬に関する不正疑惑が取りざたされている。
当初の登録馬で1番人気になることが予期されていたのは、ハリー・ペイン・ホイットニー所有の牝馬プリュードリー(Prudery)であった。しかし、この馬の飼い葉食いが良くないという話を聞いた馬主のアーノルド・ローススティーンは自身の持ち馬であるスポーティングブラッド(Sporting Blood)でも勝ち目があると感じ、同馬をトラヴァーズステークスに登録した。
しかし当日になると、ベルモントステークス優勝馬で3歳世代の有望株であったグレイラグが登録されていた。人気はグレイラグに集中し、次いでプリュードリー、そして3番人気のスポーティングブラッドは単勝4倍の人気にまで倍率が上がっていた。ローススティーンは自身の馬に、15万ドルを賭けていた。
レースの出走直前、グレイラグは説明もなく急遽出走が取り消し(スクラッチ)された。これもあってか、スポーティングブラッドは調子を落としたプリュードリーを破って優勝、ローススティーンは50万ドル近い配当を手にした。このような経緯があったため、この競走に関しては陰謀の存在が囁かれ、グレイラグの調教師であったサム・ヒルドレスが賄賂を受けたなど諸説が飛び交っていた。
歴代優勝馬
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脚注・出典
関連項目
外部リンク
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