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ケンタッキーダービー
アメリカケンタッキー州チャーチルダウンズ競馬場で行われる競馬の競走 アメリカクラシック三冠のひとつ ウィキペディアから
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ケンタッキーダービー(Kentucky Derby)は、アメリカクラシック三冠の第1冠として、ケンタッキー州ルイビルにあるチャーチルダウンズ競馬場で行われる競馬の競走である。
アメリカ合衆国の競馬における3歳牡馬の最大目標でアメリカの数ある競走としても最高峰のイベントとされ、ブリーダーズカップなどを凌ぐ視聴率や観客動員数を保っている。競馬界のみならず、スポーツイベントとしてもアメリカ国内で非常に知名度が高いもので、競走時間から「スポーツの中で最も偉大な2分間」(The Most Exciting Two Minutes in Sports)などと形容される。また優勝馬にはバラのレイが掛けられることから、「ラン・フォー・ザ・ローゼス(Run for the roses)」の通称も持つ。
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概要
アメリカ合衆国の競馬におけるダービー相当の競走で、例年5月最初の土曜日に行われる。開催の前日には、同じく3歳牝馬の最高峰競走に当たるケンタッキーオークスが行われる。アメリカクラシック三冠の第1戦に当たり、同競走の2週間後に第2戦のプリークネスステークスが行われる。
馬場条件はダート、距離は10ハロン(1マイル1/4・約2012メートル)で行われる。出走条件は3歳限定だが、イギリスのダービーステークスと違い騸馬の出走も可能である。出走可能頭数は20頭。
ケンタッキーダービーはアメリカ競馬、およびチャーチルダウンズ競馬場のあるルイビルにおける最大のイベントであり、ケンタッキーダービーの行われる時期には2週間をかけた「ケンタッキーダービー・フェスティバル」がルイビルで催されている。また観戦の際にも伝統があり、出走馬の本馬場入場の際にはミント・ジュレップ(Mint Julep)を飲み、ルイビル大学のマーチングバンドの演奏のもとケンタッキーの我が家(My Old Kentucky Home)を観客全員で歌うのが習わしとなっている。
2006年から2017年まではヤムブランドがメインスポンサーとなっており、対外的な呼称を「Kentucky Derby Presented by Yum! Brands」としていた。2018年からはウッドフォードリザーブがメインスポンサーとなり、対外的な呼称「Kentucky Derby presented by Woodford Reserve」となった。
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ロード・トゥ・ザ・ケンタッキーダービー
要約
視点
2013年から[3]ケンタッキーダービーに向かうまでの主な競走にロード・トゥ・ザ・ケンタッキーダービーのポイント[4][5]が設定され、プレップシーズン(1着10ポイント、2着5ポイント、3着3ポイント、4着2ポイント、5着1ポイント)、セレクトプレップレース(1着20ポイント、2着10ポイント、3着6ポイント、4着4ポイント、5着2ポイント)、チャンピオンシップシリーズ前半(1着50ポイント、2着25ポイント、3着15ポイント、4着10ポイント、5着5ポイント)、チャンピオンシップシリーズ後半(1着100ポイント、2着50ポイント、3着25ポイント、4着15ポイント、5着10ポイント)、最終戦のワイルドカード(1着20ポイント、2着10ポイント、3着6ポイント、4着4ポイント、5着2ポイント)の各競走で獲得したポイント上位順に出走権が与えられることになっている。2022年まではポイントの付与対象が4着までであったが、2023年より5着までに変更された。また2009年にのみ存在したケンタッキーダービーチャレンジステークスには優先出走権が与えられていた。
2016年、ラニが日本馬として初めてアメリカクラシック三冠競走の全レースを走った。特に、ベルモントステークスでは3着に好走するなど、ラニの挑戦は日本でも注目を集めた。これを受け、チャーチルダウンズ社は日本馬に向けたケンタッキーダービー出走馬選定ポイントシリーズである「JAPAN ROAD TO THE KENTUCKY DERBY」を創設。日本馬が国内のレースだけで出走権を得ることが可能になった[6][7]。
2024年より欧州向けが欧州/中東に変更となり、UAEダービーが米国のチャンピオンシップシリーズから移行される。
ロード・トゥ・ザ・ケンタッキーダービー対象競走
出典:[8]
プレップシーズン
チャンピオンシップシリーズ
日本(JAPAN ROAD TO THE KENTUCKY DERBY)
施行初年の2016年は、ラニが出走したカトレア賞・2017年(明け3歳時の)ヒヤシンスステークスの2レースを対象として開催。2017年から全日本2歳優駿、2018年から2019年(明け3歳時の)伏竜ステークスが追加され、現在の4競走で争われる形態となった。なお、カトレア賞は2020年よりオープン特別に昇格しカトレアステークスとして施行される。
ケンタッキーダービーの施行が延期された2020年に限り、ユニコーンステークス(GIII・東京D1600m)とジャパンダートダービー(JpnI・大井D2000m)の2レースがJAPAN ROAD TO THE KENTUCKY DERBYシリーズ構成競走に指定された。いずれもポイントは40-16-8-4で割り振られる。
ヨーロッパ・中東(Euro/Mideast Road to the Kentucky Derby)
元々は欧州枠であったが、2024年より欧州/中東枠に変更。
UAEダービーが米国のチャンピオンシップシリーズから移行され、出走枠も2頭に拡大した。
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歴史
要約
視点
ケンタッキーダービーの創設は1875年で、当時のチャーチルダウンズ競馬場運営者のメリウェザー・ルイス・クラークによって、イギリスのダービーステークスやフランスのパリ大賞典を模範として創設された。第1回は15頭立てで行われ、1万人の観客が駆け付けたという。創設当時は本場のダービーステークスと同じく1マイル1/2(約2414メートル)で行われており、後の1896年に現在と同じ1マイル1/4に改定された。
アメリカ合衆国では、戦争や賭博に対する禁止措置などから開催中止に追い込まれた競走がよく存在するが、ケンタッキーダービーは現在まで一度も中断されたことのない数少ない競走である。また、分割競走なども行われたことがない。
創設当時から大競走として名のあるものであったわけではなく、大馬主のサミュエル・ドイル・リドルやジェームズ・ロバート・キーンなどはケンタッキー州までの輸送を嫌って積極的に出走させなかったくらいであった。しかし20世紀初頭からの関係者の尽力により、1930年当時にはすでに大きな権威とされるようになり、ギャラントフォックスに対する「三冠」の称号とともに、ケンタッキーダービーの権威は高く定義づけられるものとなった。リドルもその後ウォーアドミラルを出走させている。
以下は同競走における主な年表である。
- 1875年 - 創設。
- 1891年 - アイザック・マーフィーが騎手として史上初の連覇。
- 1896年 - 施行距離が1マイル1/4に変更。
- 1915年 - 牝馬のリグレットが優勝。
- 1933年
- 騎手同士が掴みあいをしながらゴールする珍事が起きる(ファイティング・フィニッシュ)。
- ハーバート・J・トンプソンが調教師として史上初の連覇。
- 未勝利馬のブローカーズティップが優勝。
- 1952年 - 初めてテレビによる全国放送が行われる。
- 1968年 - 1位入線をしたダンサーズイメージ(Dancer's Image)が競走後の尿検査で当時の禁止薬物が検出され失格となり、2位入線をしたフォワードパス(Forward Pass)が繰り上がり1着となる。
- 1971年 - ベネズエラ調教馬のキャノネロが優勝。
- 1973年
- 1995年 - 日本調教馬のスキーキャプテンが参戦、14着という結果だった。
- 2000年 - フサイチの冠名で有名な関口房朗の所有馬・フサイチペガサス(Fusaichi Pegasus)が1番人気で勝利した。
- 2007年
- 前年のブリーダーズカップ・ジュヴェナイル馬として初めてストリートセンス(Street Sense)が優勝した。前年の2歳チャンピオンが優勝したのは1979年のスペクタキュラービッド(Spectacular Bid)以来28年ぶり。
- イギリス女王・エリザベス2世が訪問、観戦する。
- 2016年 - ラニが21年ぶりに日本調教馬として参戦し、9着だった。
- 2019年 - 1位入線をしたマキシマムセキュリティ(Maximum Security)が他馬の進路を妨害したとして17着に降着。2位入線のカントリーハウス(Country House)が繰り上がり優勝[12]。また、マスターフェンサーが通算3頭目の日本調教馬、史上初の日本産馬として出走し、6着だった。
- 2020年 - 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、5月2日の開催から9月5日に延期された。また、クラシック三冠競走の順序も入れ替わったため当年のみケンタッキーダービーが三冠競走の最終レースとなった。観客も最大23000人までを上限として入場を認める予定であったが、最終的に無観客での施行となった[13][14]。
- 2021年 - 1位入線をしたメディーナスピリット(Medina Spirit)から競走後の尿検査により禁止薬物が検出・失格となり、2位入線をしたマンダルーンが繰り上がり1着となる。
歴代優勝馬
日本調教馬の成績
→詳細は「日本調教馬の日本国外への遠征 § ケンタッキーダービー」を参照
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脚注・出典
関連項目
外部リンク
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