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フランシスコ・アルセ
パラグアイのサッカー選手 ウィキペディアから
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フランシスコ・ハビエル・アルセ・ロロン(Francisco Javier Arce Rolón、1971年4月2日-)はパラグアイ・アスンシオン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック)。愛称はチキ (Chiqui) で、ガンバ大阪在籍時の登録名はチキアルセ。
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経歴
パラグアイリーグの強豪セロ・ポルテーニョで活躍し、1995年に移籍したブラジルのグレミオでも加入初年度からコパ・リベルタドーレス優勝に貢献。1999年にはパルメイラスで再びコパ・リベルタドーレスを制した。日本で開催されたインターコンチネンタルカップには2度出場、1995年はアヤックスに1999年はマンチェスター・ユナイテッドにいずれも敗れたが、1996年に日本で開催されたレコパ・スダメリカーナではインデペンディエンテを破り優勝を果たした。ブラジルのクラブに在籍していた1998年、2000年、2001年にはPlacar誌が選ぶベストイレブンの右サイドバック部門で計3度選出され、当時カフーを押し退けて南米最高の右サイドバックとまで言われた[1]。
2003年にパルメイラスからJリーグのガンバ大阪に完全移籍、2003年のJリーグ開幕戦、3月23日の京都パープルサンガ戦で初出場、初ゴールを決めるデビューを飾ったが[2]、チーム戦術や日本のサッカーにフィットできず、16試合の出場に留まった。帰国した後、所属したリベルタで2005年シーズン限りで現役を引退した。
パラグアイ代表では1998 FIFAワールドカップ、2002 FIFAワールドカップに出場、2002 FIFAワールドカップのグループリーグ、南アフリカ戦ではサンタクルスのゴールをアシスト、自らも直接FKを決めた[3]。
現役引退後の2007年、ルビオ・ニュの監督に就任し、翌年にはクラブを昇格に導く。
2011年、パラグアイ代表監督に就任。しかし、ブラジルワールドカップ予選で不振が続き、2012年に解任された。
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個人成績
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代表歴
出場大会
- U-23パラグアイ代表 1991-1992
- 1992年 バルセロナオリンピック
- パラグアイ代表 1995-2002
- 1995年 コパ・アメリカ
- 1997年 コパ・アメリカ
- 1998年 ワールドカップ・フランス大会
- 1999年 コパ・アメリカ
- 2002年 ワールドカップ・日韓大会
試合数
- 国際Aマッチ 60試合 5得点(1995年-2004年)[4]
タイトル
選手時代
- セロ・ポルテーニョ
- プリメーラ・ディビシオン:3回(1991、1992、1994)
- グレミオFBPA
- コパ・リベルタドーレス:1回(1995)
- レコパ・スダメリカーナ:1回(1996)
- カンピオナート・ガウショ:2回(1995、1996)
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA:1回(1996)
- コパ・ド・ブラジル:1回(1997)
- SEパルメイラス
- コパ・ド・ブラジル:1回(1998)
- コパ・メルコスール:1回(1998)
- コパ・リベルタドーレス:1回(1999)
- コパ・ドス・カンピオンイス:1回(2000)
- リオ・サンパウロ大会:1回(2000)
- 個人
- 南米年間ベストイレブン : 1996, 1997, 1998, 1999, 2000, 2001, 2002
監督時代
- ルビオ・ニュ
- セグンダ・ディビシオン:1回(2008)
- セロ・ポルテーニョ
- プリメーラ・ディビシオン:1回(2013)
- オリンピア
- プリメーラ・ディビシオン:1回(2015)
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脚注
関連項目
外部リンク
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