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サッカーパラグアイ代表

パラグアイの男子サッカーナショナルチーム ウィキペディアから

サッカーパラグアイ代表
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サッカーパラグアイ代表(サッカーパラグアイだいひょう、西: Selección nacional de fútbol de Paraguay)は、パラグアイサッカー協会(APF)によって構成される、パラグアイサッカーナショナルチームである。ホームスタジアムは、首都アスンシオンにあるエスタディオ・ディフェンソーレス・デル・チャコ

概要 サッカーパラグアイ代表, 国または地域 ...
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概要

通算8回のFIFAワールドカップ出場経験があり、最高順位は2010年大会南アフリカ開催)のベスト8。コパ・アメリカでは1953年大会1979年大会で優勝を果たしている。FIFAランキングでは最高順位は2001年3月に記録した8位、最低順位は1995年5月に記録した103位。

パラグアイはPK戦に強いチームであり、2010年南アフリカW杯日本にPK戦で勝利して以来、2011年の南米選手権ではブラジルベネズエラにもPK戦で勝利している[注釈 1]

歴史

要約
視点

1930年代 – 1970年代

1930年、ウルグアイで開催された第1回ワールドカップに参加した。グループの首位のみが突破となる1次リーグで、アメリカに0-3の敗戦、ベルギーには1-0の勝利で1勝1敗となり決勝トーナメントには進めなかった。南米選手権(現コパ・アメリカ1929年大会1947年大会1949年大会でそれぞれ準優勝を果たし、1950年ブラジルW杯予選では辞退国が出たため、20年ぶり2回目となるFIFAワールドカップ出場が自動的に決まった。本大会ではスウェーデンイタリアと同組になったが1分1敗に留まり、決勝トーナメント進出を逃している。

1953年の南米選手権ブラジル開催)で初優勝を遂げた。出場8カ国が総当たりを行う1次リーグをブラジルと並ぶ6勝1敗で終え、それに伴い行われた決勝戦で同国を3-2で破った[1]1958年スウェーデンW杯ではフランススコットランドユーゴスラビアと共にグループ2に入ったが1勝1分1敗でグループ3位となり、またしてもグループリーグ敗退となった。

1970年代 – 1990年代

W杯予選では前述のスウェーデン大会以降、南米予選敗退が続いたが、コパ・アメリカでは断続的に好成績を残した。

1979年のコパ・アメリカではグループリーグで強豪ウルグアイエクアドルが属するグループCとなったが、2勝2分と無敗で決勝トーナメントに進出。準決勝ではブラジルを打ち合いの末4-3で、決勝ではチリを3-1でそれぞれ降し、26年ぶりに南米王者に輝いた[2]予選を勝ち抜き、実に28年ぶりの出場となった1986 FIFAワールドカップメキシコ開催)では、ロベルト・フェルナンデスロランド・チラベルトなどの好選手を揃えて参加。グループリーグの初戦で初出場のイラクを1-0で破ると、メキシコ、ベルギーにはそれぞれ1-1、2-2での引き分け。通算成績は1勝2分で、4回目の出場にして初めてベスト16に進出した。決勝トーナメント1回戦ではイングランドに0-3で敗れた[3]

1990年代 - 2000年代

W杯メキシコ大会で好成績を残したパラグアイ代表だが、続く1990年大会1994年大会では南米予選敗退に終わった。1992年、U-23代表バルセロナ五輪に出場。グループステージを2位で勝ち抜いたが、準々決勝でガーナに敗れた。この大会では、カルロス・ガマーラセルソ・アジャラホセ・ルイス・チラベルトフランシスコ・アルセホセ・カルドーソなどの才能ある若手が次々と現れ、後にこの世代はワールドカップで好成績を残すことになる。

1998 W杯

1998年フランスW杯南米予選で、勝ち点1差で首位通過のアルゼンチンに次ぐ2位となり、1986年大会以来となる本大会出場権を獲得した。本大会ではブルガリアスペインナイジェリアが入るグループDに振り分けられた。ブルガリア、スペインとの試合をいずれも0-0のスコアレスドローで終えた[4]。最終戦は既に1次リーグ突破を決めているナイジェリアとの一戦であったが、これに3-1で勝利して1勝2分で決勝トーナメントに進出した。ベスト8を賭けた決勝T1回戦では、主力のジネディーヌ・ジダンを欠く開催国・フランスと対戦。前後半90分で0-0と決着がつかず、延長戦に突入。ところが、延長後半9分にローラン・ブランゴールデンゴールを許し、ベスト16で散った[5]。大会後、今大会のオールスターチームDFのガマーラ、GKであり主将のチラベルトが選出された。

コパ・アメリカ1999・2001

地元開催となったコパ・アメリカ1999では、ボリビア、コパ・アメリカ初挑戦の招待国日本ペルーが入るグループAとなった。開幕戦となったボリビア戦は0-0のドローに終わったが、第2戦で日本に4-0と完勝[6]、最終戦でもペルーを1-0で下し勝ち点7の首位でグループリーグを突破した。準々決勝ではグループCを辛くも3位で突破したウルグアイと対戦。120分間で1-1と決着がつかずに行われたPK戦で敗れ、ベスト8敗退となった。

コパ・アメリカ2001コロンビア開催)には、国内組主体のチームで挑んだ。強豪ブラジル、メキシコとペルーが入る厳しい組み合わせとなり、メキシコ、ペルーとは引き分け、ブラジルには1-3で敗れ2分1敗のグループ最下位で敗退した。

2002 W杯/2006 W杯

2002年W杯日韓大会・南米予選ではペルーに対し黒星スタートとなったが、ウルグアイに2戦2勝するなどリーグ4位で予選突破を決めた。本大会には、チラベルトを始めとした前回大会に出場した選手主体のチームで挑んだ。

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通算73試合に出場したチラベルト(代表選出前の1985年)

パラグアイが入ったのはグループBで、南アフリカ、スペイン、スロベニアと同組になった。初戦の南アフリカ戦で引き分け、第2戦のスペイン戦では敗れ、勝利が絶対条件となったスロベニア戦で3-1の快勝。南アフリカと勝ち点、得失点差共に並んだが、総得点で1上回り[7]、2大会連続決勝トーナメントに進んだ[8]。初のベスト8を賭けた決勝T1回戦では、優勝経験3回という経歴を持つドイツとの勝負になった。試合はドイツが優勢に試合を進めたが、パラグアイも終盤まで固い守りを維持。ただ、延長突入直前の後半43分、オリバー・ノイビルに均衡を破る先制点を奪われ、初のベスト8進出は叶わなかった[9]

3大会連続出場となった2006年ドイツW杯ではイングランドとスウェーデンに連敗し、最終戦を前にグループリーグ敗退が決定した[10]。最終戦で初出場のトリニダード・トバゴ相手に2-0と快勝して、勝ち点3は持ち帰った[11]

2010年代以降

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コパ・アメリカ2004でのネルソン・バルデス

2010年のW杯南アフリカ大会では守備的なサッカーを徹底してグループFの初戦で前回王者・イタリアと1-1で引き分けた[12]。2戦目はスロバキアに2-0で勝利[13]、最終戦のニュージーランド戦は0-0のスコアレスドローだった[14]。結局失点はイタリア戦の1点のみと堅守が光り、1勝2分の首位で決勝トーナメントに進出した[15]。ラウンドオブ16では、同じく初のベスト8を目指す日本に、PK戦の末、勝利して初の8強入りを果たした[16][17]。準々決勝ではスペインと対戦。後半に主将のフスト・ビジャールシャビ・アロンソのPKを阻止する活躍を見せたが、後半38分に失点して0-1で敗北となった[18][19]。勢いそのままに翌年7月のコパ・アメリカでは48年ぶりに準優勝した[20]

しかし、2014年のブラジルW杯では南米予選最下位で予選敗退を喫した[21]。2018年のロシア大会南米予選でも、第17節時点では7位につけ、同時刻キックオフで行われた最終節のベネズエラ戦で勝利すれば、他のカードの結果次第で本大会出場もしくは大陸間プレーオフへ出場出来たが、最終的にベネズエラに敗れて敗退した[22]。2022年のカタール大会南米予選でも、開幕から苦戦が続き予選8位で敗退した[23][24]。南米選手権ではブラジルで開催された2019年大会2021年大会は2連続でベスト8進出と一定の成績を収めたが[25][26]2024年アメリカ大会ではグループリーグ3連敗で姿を消した[27]

出場枠増加となった2026年北中米W杯南米予選では、ホームでアルゼンチンやブラジルを破る[28][29]など着々と勝ち点を積み上げ、2025年9月4日、エクアドルと引き分けて4大会ぶり9回目となるW杯本大会出場が決定した[30][31]

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成績

FIFAワールドカップ

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コパ・アメリカ

  • 1916 - 不参加
  • 1917 - 不参加
  • 1919 - 不参加
  • 1920 - 不参加
  • 1921 - 4位
  • 1922 - 準優勝
  • 1923 - 3位
  • 1924 - 3位
  • 1925 - 3位
  • 1926 - 4位
  • 1927 - 棄権
  • 1929 - 準優勝
  • 1935 - 棄権
  • 1937 - 4位
  • 1939 - 3位
  • 1941 - 棄権
  • 1942 - 4位
  • 1945 - 棄権
  • 1946 - 3位
  • 1947 - 準優勝
  • 1949 - 準優勝
  • 1953 - 優勝
  • 1955 - 5位
  • 1956 - 5位
  • 1957 - 棄権
  • 1959 - 3位
  • 1959 - 4位
  • 1963 - 準優勝
  • 1967 - 4位
  • 1975 - グループリーグ敗退
  • 1979 - 優勝
  • 1983 - ベスト4
  • 1987 - グループリーグ敗退
  • 1989 - 4位
  • 1991 - グループリーグ敗退
  • 1993 - ベスト8
  • 1995 - ベスト8
  • 1997 - ベスト8
  • 1999 - ベスト8
  • 2001 - グループリーグ敗退
  • 2004 - ベスト8
  • 2007 - ベスト8
  • 2011 - 準優勝
  • 2015 - 4位
  • 2016 - グループリーグ敗退
  • 2019 - ベスト8
  • 2021 - ベスト8
  • 2024 - グループリーグ敗退

歴代監督

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歴代選手

歴代記録

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脚注

関連項目

外部リンク

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