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クリエイション (バンド)
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クリエイション(CREATION、ブルース・クリエイション、クリエーション)は、日本のロック・バンド。
1960年代末、竹田和夫を中心に結成。日本ロック史の草創期において、早くからハードロック・スタイルを取り込んだグループの一つ。 その後、変遷を経て、1980年代初期に楽曲「ロンリー・ハート」で全国ヒットを放つ。1980年代中期に一度解散したが、2005年に再始動して現在も活動中。
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来歴
要約
視点
ブルース・クリエイション期(1969年 - 1972年)
1968年、竹田和夫(ギター)、洪栄龍(ギター)、布谷文夫(ボーカル)らは、ザ・ジャガーズの弟分バンド「ザ・ビッキーズ」として渋谷のディスコ専属で活動を始め、東京12チャンネルの番組「R&B天国」で5週勝ち抜き優勝するなど実績を積む。
1969年、竹田、布谷らで新たにブルースロック・バンド「ブルース・クリエイション」を結成。その後、野地義行(ベース)、田代信一(ドラム)が加入した4人編成となり、同年10月、ポリドールよりデビュー・アルバム『ブルース・クリエイション』をリリース。
1971年、竹田だけを残して、大沢博美(ボーカル)、佐伯正志(ベース)、樋口晶之(ドラム)にメンバーチェンジし、日本コロムビアより2ndアルバム『悪魔と11人の子供達』をリリース。全編英語の歌詞による初期の「ブラック・サバス」的アプローチで、後のハードロック・スタイルに繋がる雛形となった[4]。同年8月、カルメン・マキをボーカルに迎えて「第3回全日本フォークジャンボリー」に出演後、アルバム『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』を日本コロムビアよりリリース[5]。両アルバムは同時期に並行して制作され同時に発売された。同月、千葉県成田市三里塚で行われた「幻野祭」に頭脳警察らと出演。その模様は記録され、二枚組LPで発売されたほか、30分足らずの短編ドキュメンタリー映画も公開された。
1972年、ブルース・クリエイションは解散し、樋口はカルメン・マキと「カルメン・マキ&OZ」を結成。竹田は松本繁(ベース)、内藤正美(ドラム)らと「ブラッディ・サーカス」を結成するも短命に終わる。
クリエイション期(1972年 - 1979年)
1972年、竹田、松本、樋口、大沢でブルース・クリエイションを再興し、「クリエイション」と改名して新たに出発。飯島義昭(ギター)が追加入してツイン・ギター体制となるが、大沢が早々に脱退してしまい竹田がボーカルを兼任することになる。
その後、アルバムデビューを果たすまでの約3年間は、内田裕也のバックバンドや1973年8月に行なわれたマウンテンの初来日公演の前座などでライブ活動に勤しむ。
1975年、東芝EMIから内田裕也のプロデュースで、1stアルバム『クリエイション』をリリース。当時の国内盤LPとしては珍しくビニールシュリンク包装されていた。同年、ワールド・ロック・フェスティバルで共演した元マウンテンのフェリックス・パパラルディにコンタクトを取り、渡米してパパラルディのプロデュースでレコーディング[6]を行う。
1976年、2ndアルバム『クリエイション・ウイズ・フェリックス・パパラルディ』[7]をリリース。同作は、アメリカでは"FELIX PAPPALARDI & CREATION"[8]としてリリースされた。同年7月より、パパラルディを加えたメンバーで、キッス、ジョニー・ウィンターなどと共に全米ツアーを敢行した後、日本のロック・バンドとして初めて単独で日本武道館公演を行った[9]。
1977年、3rdアルバム『ピュア・エレクトリック・ソウル』をリリース。同作からは、「スピニング・トー・ホールド」がアメリカのプロレス兄弟チームであるザ・ファンクスの入場テーマ曲に使用されて有名になった。その後、松本が脱退して山内テツ(ベース)が参加し、フリートウッド・マック、サンタナらとオーストラリアツアーを行った。
1978年-1979年、シングル、スタジオアルバム、ベスト盤、ライブ盤、竹田のソロアルバムを立て続けにリリース。その後、一時活動を停止する。
1970年代後半から1980年代初頭にかけては、バンド本体の活動以外に、竹田和夫オールスターズや竹田和夫&ミッドナイトブルーといったソロプロジェクトも並行して行われ、さらに、松田優作の歌手活動やエディ藩のソロ活動など他アーティストのサポートもバンド全体やメンバー個々によって積極的に行われた。
新生クリエーション期(1980年 - 1984年)
1980年、竹田はバンドのメンバーを刷新。ボーカルにアイ高野(1977年の竹田和夫オールスターズにも参加)を迎え、フュージョン路線も交えたアルバム『朝日の国』をリリース。
1981年、バンド名を「クリエーション」に改称(所属事務所の社長が姓名判断で決定[10])して、アルバム『ロンリー・ハート』をリリース。表題曲「ロンリー・ハート」がTVドラマ『プロハンター』の主題歌に使われてスマッシュ・ヒットとなった。1982年、アルバム『ランニング・オン』をリリース。日本テレビの火曜サスペンス劇場『危機一髪の女』にバンドとして出演(キーボードは「三枝隆」とクレジットされていた)[11]。さらに、竹田和夫&クリエイション名義でアルバム『ソング・フォー・ア・フレンド』(1983年)、『レイニー・ナイト・ドリーマー』(1984年)をキングレコードよりリリースした後、竹田がソロ活動に移りバンドは解散した。
再結成期(2005年 - 現在)
2005年、竹田はソロ活動と並行して再びクリエイションとしてバンド活動を再開[12]。2014年、過去楽曲の新録音を中心とした30年ぶりのアルバム『リザレクション』をアイビーレコードよりリリースし、リユニオン・コンサートも行った[13]。以降、クリエイション名義でのライヴを年に2回のペースで行っている[12]。
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メンバー
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ディスコグラフィ
要約
視点
アルバム
スタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
- 『スタジオ・ライブ!』(1979年2月5日、東芝EMI、ELF-95024)
- 『ジャスト・アライヴ』(1982年2月21日、東芝EMI、WTP-90149)クリエーション名義。
- 『白熱のブルースクリエイション Live!』(1989年、キティレコード、H20K25048)ブルース・クリエイション名義の未発表音源。
- 『In The Beginnings』(2005年2月23日、avexio、IOCD-40076)ブルース・クリエイション名義、1970年8月15日の日比谷野外音楽堂の音源含む。
- 『CREATION with FELIX PAPPALARDI Live at BUDOKAN 1976』(2007年、Hagakure Records、UPCH-20043/4)
- 『1974 ONE STEP FESTIVAL』(2018年11月21日、Super Fuji、FJSP358)クリエイション+内田裕也名義の発掘音源。
- 『幻野 幻の野は現出したか ~ ’71日本幻野祭 三里塚で祭れ』(1971年12月1日、創世記レコード、GNS-1001-2)ブルース・クリエイションの1曲を含むオムニバス作品。
ベスト・アルバム
- ザ・スーパーベスト(1978年4月5日、東芝EMI、ETP-80011)
- グレイテスト・ヒッツ(1979年11月5日、東芝EMI、ETP-80108)
- ロック・シティ(1981年10月21日、東芝EMI、WTP-90121)
シングル
プロモーション
- You Better Find Out/Pretty Sue(1975年、PRT-1009)
- トーキョー・サリー/幻の10年 Happenings Ten Years Time Ago(1977年、PRT-8073)
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脚注
外部リンク
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