トップQs
タイムライン
チャット
視点
エディ藩
日本のギタリスト、歌手 (1947-2025) ウィキペディアから
Remove ads
エディ藩(エディ ばん、Eddie Ban、1947年6月22日 - 2025年5月10日)は、ギタリスト、ボーカリスト。本名は潘 廣源。神奈川県横浜市山下町出身。中国国籍[1][2][3]。
※1946年生まれの可能性あり。ザ・ゴールデン・カップスのメンバーはデビュー時に所属事務所から1歳サバを読むように指示されていた[4][5]。1951年生まれのギタリスト・李世福[6]は、インタビューでエディ藩のことを5つ年上だと話している[7]。
Remove ads
経歴
要約
視点
1947年6月22日、横浜市山下町で誕生。実家は中華料理の老舗・名店であった「鴻昌」[2][3](現在は閉店[11][12])。
小学校はインターナショナル・スクールに通う[2]。
中学校は関東学院中学校に入学し[13]、この頃からギターに興味を持つ[2][14]。香港で高価なギター機材を買い揃えたこともあり[15][14]音楽仲間が増えて、後にゴダイゴのマネージャーとなるジョニー野村(1~2歳年上)らと知り合う[16]。
高校は関東学院高等学校に通い[17]、ジョニー野村らとザ・ファナティックスを結成して注目を集める。このバンドには一時期デイヴ平尾(2~3歳年上)も在籍していた[18][2][3]。
※なお、高校に関してはセント・ジョセフ・カレッジに転校したという情報もある[3]が、のちに関東学院大学へ進学していることから、転校せずにそのままだった可能性もある。もしかすると、エディ藩が通っていた小学校がセント・ジョセフ・カレッジ(インターナショナル・スクール)だったのと、ジョニー野村とザ・ファナティックスの初期メンバーであった聘珍樓の林康弘[19][20][21]の二人がともに高校まで通っていたのがセント・ジョセフ・カレッジだったので、それらが混同したのかもしれない。また、同じ横浜出身の中華系ギタリスト・陳信輝[22]や李世福との関係が「先輩」や「後輩」で語られることに起因して、中華学校や武相高校に在学していたと書かれたこともあった[23]。実際、李世福はインタビューでエディ藩が中華学校の先輩だと答えている[7]。
1966年4月、関東学院大学に入学する[17]。すでにザ・ファナティックスは解散しており、学校は学生運動が盛んで休講が多かったことから、渡米して音楽的知識を吸収すると共に音楽的技術を磨く[24][2][18][3][14]。渡米中に偶然出会ったデイヴ平尾(本名:平尾時宗)[25][2][18][3]と、帰国後に平尾時宗とグループ・アンド・アイ(後のザ・ゴールデン・カップス)を結成[3][18]。1967年6月、「いとしのジザベル」でデビュー[2][3][1][18]。リードギター担当としてバンドの中心的存在となる[3]。
1969年4月25日、エディ藩グループ結成のためザ・ゴールデン・カップスを脱退[1][3][26][27]。
1970年1月1日付でザ・ゴールデン・カップスとエディ藩グループとが合併。ザ・ゴールデン・カップスに復帰する形となる[1][3][26][27]。
1972年1月2日付でザ・ゴールデン・カップスが正式に解散[27][1][18][14]。その後は様々な音楽関係者と関わる中で自身の作品も残す[2][3][26][28][29][30][14]。
1982年、第9回 横浜音楽祭 地域特別賞を「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」で受賞。[31]
1980年代中盤~1990年代中盤は、「鴻昌」の経営に注力[1][3]して音楽活動を控えていたが、1990年代後半から音楽活動を再開[3]。
2003年、ザ・ゴールデン・カップス再結成。音楽番組への出演やライブハウスでの演奏を続け、晩年までに至る[3][1]。
2025年5月10日、感染性心内膜炎のため横浜市内の病院で死去した。77歳没[32]。これによってザ・ゴールデン・カップスの結成メンバー全員がこの世を去ることとなった。
Remove ads
ディスコグラフィー
- エディ藩とオリエント・エクスプレス/その1 日本コロムビア 1974年6~7月発売
- エディ藩とオリエント・エクスプレス/1974ワンステップ・フェスティバル スーパーフジ 2019年4月発売
- エディ藩とスーパー・セッション・バンド/ベイサイド・スウィンガー 日本コロムビア 1976年10月発売
- ブルー・ジェイド 東芝EMI 1982年2月発売
- ネオン・シティ 東芝EMI 1982年10月発売
映画音楽
出演映画
- ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム(2004年11月20日)
- 『歌謡曲だよ人生は』(2007年5月12日)
- 『オース!バタヤン』(2013年5月18日)に、夫人の潘しのぶと共にカメオ出演している。
関連項目
外部サイト
![]() |
- 日本ロック名鑑「エディ藩」http://www.studio-g3.com/whoswho/02-eddieban.htm
- 日本ロック名鑑「エディ藩グループ」http://www.studio-g3.com/whoswho/02-eddiebangroup.htm
- 日本ロック名鑑「エディ藩とオリエント・エクスプレス」http://www.studio-g3.com/whoswho/02-eddiebang6-orient.htm
- 日本ロック名鑑「エディ藩とスーパー・セッション・バンド」http://www.studio-g3.com/whoswho/02-eddiebang7-session.htm
- ザ・ゴールデン・カップスのプロフィール(2004)https://barks.jp/news/571689/
- ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!「エディ藩編」(2021)
- ①https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/219159②https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/220807③https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/11367④https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/11359⑤https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/19413⑥https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/27753⑦https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/35490⑧https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/44790⑨https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/60048⑩https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/63727⑪https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/67385⑫https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/69395
- 大人のミュージックカレンダー「エディ藩」(佐々木雄三著 2018)http://music-calendar.jp/2018062201
Remove ads
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads