トップQs
タイムライン
チャット
視点
ボスラシャム
ウィキペディアから
Remove ads
ボスラシャム (Bosra Sham) は、アメリカ合衆国で生まれたイギリスの競走馬。 1996年カルティエ賞最優秀3歳牝馬。全兄にヘクタープロテクターがいる。
![]() |
経歴
2歳
1995年8月にデビュー戦を勝つと、わずか1ヶ月後にはフィリーズマイルに優勝。キャリア1戦ながら英国2歳牝馬マイルの頂点に立った。
3歳
1996年は4月から始動。調教中に脚部不安を発症していたことが不安視されたが、終わってみれば6馬身差の圧勝であった。彼女は引き続き1000ギニーにも優勝したが、レース後に脚部不安が再発し、休養に入った。
4ヶ月の休養の後、ボスラシャムはクイーンエリザベス2世ステークスで復帰した。ここではマークオブエスティームやアシュカラニといった牡馬の強豪と対戦してマークオブエスティームの2着となり、初めての敗戦を経験した。
次走のチャンピオンステークスもホーリングやティマリダといった牡馬・古馬の強豪との対戦となったが、ここでは2着ホーリングに2馬身半の差をつけて優勝している。
この年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬にはボスラシャムが選出された。
4歳
1997年は5月に始動。ブリガディアジェラードステークス1着、プリンスオブウェールズステークス1着と2連勝し、7月にはエクリプスステークスへ駒を進めた。ここでもボスラシャムは圧倒的な1番人気に支持されたが、徹底したマークにより進路を塞がれ、立て直す間もなくピルサドスキーとベニーザディップに続く3着での入線となった。
8月にはインターナショナルステークスに出走した。この年のインターナショナルステークスはボスラシャム以外の出走馬がシングスピール、デザートキング、ベニーザディップという非常に豪華な顔ぶれとなった。このレースでもボスラシャムは1番人気に支持されたが、競走中に落鉄して4頭立ての4着という結果に終わった。さらには落鉄の影響により持病である蹄の状態が悪化し、競走生活への復帰は絶望的として引退・繁殖入りが発表された。
引退後
2001年に産んだRosbergがプレミアズステークス(カナダG3)で優勝している。
Remove ads
評価
ボスラシャムはインターナショナル・クラシフィケーションで131ポンドの評価を受けている。これは牝馬としてはミエスク、オールアロングが獲得した132ポンドに次ぐ評価である。また、"A Century of Champions" においても、ボスラシャムは「20世紀の10大牝馬」「1990年代最高の英国牝馬」とされている。ヘンリー・セシル調教師は「牡馬を含めても、私が関わった馬のなかで最高の馬だ」としている。
競走成績
血統表
ボスラシャムの血統(ミスタープロスペクター系 / Nasrullah 5×5×4=12.50%) | (血統表の出典) | |||
父 Woodman 1983 栗毛 |
父の父 Mr. Prospector1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer | |
Raise You | ||||
Gold Digger | Nashua | |||
Sequence | ||||
父の母 *プレイメイトPlaymate 1975 栗毛 |
Buckpasser | Tom Fool | ||
Busanda | ||||
Intriguing | Swaps | |||
Glamour | ||||
母 Korveya 1982 栗毛 |
Riverman 1969 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | ||||
River Lady | Prince John | |||
Nile Lily | ||||
母の母 Konafa1973 鹿毛 |
Damascus | Sword Dancer | ||
Kerala | ||||
Royal Statue | Northern Dancer | |||
Queen's Statue F-No.22-b |
Remove ads
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads