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ピルサドスキー

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ピルサドスキー
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ピルサドスキー (Pilsudski) とは、アイルランドで生まれたイギリスの元競走馬、および種牡馬である。1997年カルティエ賞最優秀古馬受賞。日本では1997年ジャパンカップ優勝馬として著名。

概要 ピルサドスキー, 品種 ...

イギリス、アイルランド、ドイツフランスカナダ、日本で走り、ブリーダーズカップ・ターフ、ジャパンカップ、バーデン大賞エクリプスステークスチャンピオンステークスアイリッシュチャンピオンステークスに勝ち、日本で種牡馬となった。日本での産駒の成績は不振で、2003年にアイルランドへ再輸出された。

半妹には2002年の秋華賞エリザベス女王杯を勝ったファインモーション(父デインヒル)がいる。

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現役時代

1995年、3歳の夏に遅い初勝利をあげる。

1996年に下級重賞をいくつか勝ったあと、ドイツのバーデン大賞に遠征、初のG1競走挑戦ながら前年度の優勝馬ジャーマニーを下して優勝した。次にヨーロッパ最高峰の凱旋門賞に挑みエリシオの2着に好走し、さらに北米の芝レースの最高峰ブリーダーズカップ・ターフで僚馬シングスピールを下して優勝した。

1997年はヨーロッパで連戦し、エクリプスステークス、アイリッシュチャンピオンステークス、チャンピオンステークスの3つの中距離の大レースに勝ったが、中長距離路線のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスと凱旋門賞ではそれぞれスウェインパントレセレブルの2着に敗れた。この年の11月に来日、ジャパンカップに出走。パドックでは激しく「馬っ気」(生殖器が勃起する状態の俗語)を出していた[1][2]が、人気のエアグルーヴらを破って優勝、このレースを最後に引退した。管理するマイケル・スタウト調教師にとっては前年のシングスピールに続く2年連続のジャパンカップ制覇となった[3]

この年のインターナショナル・クラシフィケーションの古馬中距離部門で、1位(134ポンド)となり、カルティエ賞の最優秀古馬に選出された。134ポンドは1990年代では7番目に高い数値で、エリシオやエルコンドルパサーと同評価である。

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競走成績

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種牡馬成績

JRAから日本軽種馬協会に寄贈された同馬は、北海道静内町で種牡馬となった。セレクトセールで産駒に1億円を超す値がつけられ[4]、「エリシオと並ぶポスト・サンデーサイレンスの有力候補」と評される[4]など、産駒デビューまでの前評判は高かった。ところが2001年にデビューした産駒は中央競馬の初年度勝ち上がりが0頭という不振ぶりで、その後も成績が上向くことはなかった。通算のコンパラブルインデックスは1.32[5]と、配合相手の繁殖牝馬の質は平均以上であったが、産駒のアーニングインデックスは年次別通算で0.36と平均を大きく下回った[5]

種付数は2001年に95頭であった[5]が、産駒デビュー後に大きく落ち込み、2002年は50頭、2003年は10頭であった[5]。2003年9月に買い戻されて日本を去り、アイルランドのアイリッシュ・ナショナルスタッドへ移った[6]。現在は障害競走用種牡馬として供用されている。

主な産駒

母の父としての主な産駒

名義貸し問題

1997年の秋にピルサドスキーが凱旋門賞で2着になったあと、日本中央競馬会 (JRA) は同馬をウェインストック卿から購入した。まだ現役だったため、JRAはウェインストック卿に同馬をリースしてチャンピオンステークスとジャパンカップに出走した。JRAの規定では、JRAの主催する競走ではリース馬主を認めていない。名義貸しによる不透明な所有形態により、競走の公正さが失われるおそれがあるからという理由である[7]

ジャパンカップに出走する時点で、同馬はレース後に日本で種牡馬となることが決まっており、実質的な所有者であるJRAは種牡馬としての同馬の価値を高めるために八百長をして勝たせるのではないかといった疑惑や、主催者自ら禁止する名義貸しを行うことへの批判が提起された[7]

馬名問題

ピルサドスキーの英名は「Pilsudski」で、20世紀初頭のポーランドの指導者であるユゼフ・ピウスツキの名に由来し、父Polish Precedent(和訳すると「ポーランドの先人」)からの連想である。ピウスツキ将軍はロシアからのポーランド独立のため、日露戦争の際に来日するなど、外交史や東欧史で知られた人物であり、国内の出版物や在ポーランド日本大使館のウェブサイト[8]でも「ピウスツキ」と表記されている。

JRAは当初「ピルスドゥスキー」という表記を採用していた[9]が、やがて「ピルサドスキー」に変更した[9]。「ピルスツキ」にすべきという批判があったとされるが[9]、JRAは当時の馬主のウェインストック卿に発音を確認した上で「ピルサドスキー」という表記が妥当と判断したという[9]。これに対してJRA賞馬事文化賞受賞者の山野浩一は、英語でないものを英語読みしたことに起因する「変な表記」「大きな間違い」であり、文部省の定める規則にも反するカナ転記だとした上で、「下手をすると外交問題に発展しかねない」「抗議がなければどのような失礼なことも許されるというものではない」とJRAとJBBAを批判した[7]

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血統表

ピルサドスキー血統ダンジグ系 / Petition 5×4=9.38%(血統表の出典)[§ 1]
父系ダンジグ系
[§ 2]

Polish Precedent
1986 鹿毛
父の父
Danzig
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas de Nom Admirals Voyage
Peririoner
父の母
Past Example
1976 栗毛
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Bold Example *ボールドラッド
Lady be Good

Cocotte
1983 鹿毛
Troy
1976 鹿毛
Petingo Petition
Alcazar
La Millo Hornbeam
Pin Prick
母の母
Gay Milly
1977 鹿毛
Mill Reef Never Bend
Milan Mill
Gaily Sir Gaylord
Spearfish
母系(F-No.) 11号族(FN:11) [§ 3]
5代内の近親交配 Petition4×5 [§ 4]
出典
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脚注

外部リンク

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