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マーク・プライス
アメリカのバスケットボール選手 (1964 - ) ウィキペディアから
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ウィリアム・マーク・プライス(William Mark Price、1964年2月15日 - )は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手、指導者。NBAでは12年間、クリーブランド・キャバリアーズ、ワシントン・ブレッツ、ゴールデンステート・ウォリアーズ、オーランド・マジックでプレイした。ポジションはポイントガード。1980年代後半から1990年代にかけて、リーグを代表するシューターの1人として知られる。実弟のブレント・プライスも元NBA選手で、ワシントン・ブレッツでは1シーズン共にプレーした。
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経歴
選手時代
オクラホマ州出身。ジョージア工科大学卒業後、1986年のNBAドラフトで2巡目全体25位でダラス・マーベリックスに指名された。身長6フィートだった彼は評論家に小さすぎるし、遅すぎてNBAでは使いものにならないのではないかと酷評された。ドラフト当日にキャバリアーズにトレードされた彼はチーム史上ベストのポイントガードとなり、リーグを代表するシューターとしても名を広めた。キャリア通算でフリースロー成功率90.4%は2024年現在NBA史上3位である。[1]また、3ポイントシュートの通算成功率も40%を超えた。[2]1988-89年シーズンに彼は3ポイントシュート40%以上、シュート成功率50%以上、フリースロー成功率90%以上であった。シーズン通してこの条件を満たしたのは現在まで見てもわずか9人しかいない[3]。プライスはNBAオールスターゲームに4回出場し、3ポイントシュートコンテストで2回優勝、1992-93年シーズンはオールNBAファーストチームにも選ばれた。
1994年に行われたバスケットボール世界選手権ではドリームチームIIの一員に選ばれて金メダルを獲得している。[4]
1995年にブレッツに移籍した頃から左足等の故障に悩まされ、1シーズンプレイした後、ウォリアーズに移籍、その後マジックに移籍した後1998年に引退した。現役引退後すぐに、キャブスで彼の背番号25は永久欠番となった。
オクラホマ州Enidにあるバスケットボールアリーナは彼の名前を取ってマーク・プライスアリーナと名付けられた。[5]
コーチ
2006年3月、オーストラリアリーグに2006-2007年シーズンから新加入するサウス・ドラゴンズのヘッドコーチとして招かれたため、家族と共にメルボルンに移り住んだ。2006年10月23日に彼は辞任して、チームキャプテンのシェーン・ヒールがヘッドコーチを兼任することとなった。このチームでの彼の成績は開幕戦からの5連敗と勝利なしに終わった。[6]
デンバー・ナゲッツ、アトランタ・ホークス、ゴールデンステート・ウォリアーズ、オーランド・マジックのアシスタントコーチを経て、2013年からシャーロット・ホーネッツのスティーブ・クリフォードヘッドコーチのもとでアシスタントコーチを務めていた[7]。2015年3月、ノースカロライナ大学シャーロット校のシャーロット・フォーティーナイナーズのヘッドコーチに就任した[8]。
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個人成績
NBA
レギュラーシーズン
プレーオフ
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その他
- プライスがつけた背番号25はジョージア工科大学でも永久欠番となっている。
- 弟と共にクリスチャンである。
脚注
外部リンク
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