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ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ
1886-1969, ドイツ出身の建築家。 ウィキペディアから
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ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年3月27日 – 1969年8月17日)は、20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家。ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠、あるいは、ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠とみなされる。
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経歴
要約
視点
ミースは、ドイツのアーヘンに、墓石や暖炉を主に扱う石工のネーデルラント系の父ミヒャエル・ミースと母アマーリエ・ミース(旧姓ファン・デル・ローエ)の息子として生まれた。大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けた後、リスクドルフの建築調査部で漆喰装飾のデザイナーとして勤務。
1906年にブルーノ・パウルの事務所に勤務。パウルの事務所の同僚の紹介により、1907年に最初の作品であるリール邸を手がけている。この仕事が認められたことにより、1908年から1912年まで建築家ペーター・ベーレンスの事務所にドラフトマンとして在籍し、建築を学ぶことになる。1912年、独立して事務所を開設。
1913年、アダ・ブルーンと結婚。アダの紹介によりベルリン近郊の富裕層の住宅の設計を手がける。1927年、ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加し、ベーレンス、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエ、ブルーノ・タウトらと共に、実験的な集合住宅を建設した。

1929年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館、バルセロナ・パビリオン(Barcelona Pavilion)は、鉄とガラスで構成され、大理石の壁を配したもの。モダニズムの空間を実現したものとして、建築史上有名。なお、同館のためにミースがデザインしたバルセロナ・チェアもモダンデザインの傑作として知られる。パビリオンは、博覧会終了後に取り壊されたが、1986年に同じ場所に復元され、「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」となっている。
グロピウスの推薦で、1930年からバウハウスの第3代校長を務めた。ナチスによってバウハウスが閉鎖(1933年)された。ミース自身も作風が十分に「ドイツ的」(アーリア人の意)でないとナチスに判断された。その結果、ミースはドイツ国内での依頼を受けることができなくなり、数年間はほとんど建築を手がけなかった為、1937年にアメリカに亡命した。1938年から58年、シカゴのアーマー大学(後のイリノイ工科大学)建築学科の主任教授を務め、クラウン・ホールをはじめとする同大学のキャンパス計画を手がけた。1944年には、アメリカ市民権を獲得。

四方をガラスの壁で囲んだファンズワース邸(1951年 アメリカイリノイ州)も代表作の1つ[1]。鉄骨による構造の特色を活かし、ユニバーサルな居住空間をもつように設計されたモダニズム建築の一典型[2]。中央コア部分以外は、間仕切りをもたず、外壁がすべてガラスとなっている[2]。週末別荘として建てられたもので、建設費が当初予算を大幅に超えたため、施主のエディス・ファンズワースと訴訟沙汰になったがミースが勝訴した。2003年にオークションに出され、地元のナショナルトラストが取得した。

超高層ビルの実作品として、ニューヨークのシーグラム・ビルディング(1958年竣工)があるが、モダニズムの超高層ビルの中では、SOMのリーバ・ハウス(1952年竣工)と並んで、最も優れたデザインの超高層ビルともいわれている。
他の代表作に、ブルノのトゥーゲントハット邸(1930年 チェコスロヴァキア)、レイクショアドライブ・アパートメント(1951年 シカゴ)、ベルリン国立美術館・新ギャラリー(1968年 西ベルリン)などがある。
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作品






建築
家具
- 1927年 MRダイニングチェア
- 1929年 バルセロナチェア
- 1930年 ブルノチェア
- 1930年 トゥーゲントハット・アームチェア
- 1932年 MRシェーズロング
記念碑
- スパルタクス団のローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトのための記念碑(革命記念碑)を設計。しかし、1935年にナチスにより破壊され、現存しない[3]。
起用されなかった作品
リール邸 ウルヴィッヒ邸 フリードリヒ街のオフィスビル案 ヴァイセンホーフ・ジードルング ランゲ邸 トゥーゲントハット邸 レムケ邸 ヒューストン美術館キャロライン・ワイス・ロウ棟 ハイフィールド・ハウス・アパートメント ラファイエット・パーク マーティン・ルーサー・キング・ジュニア記念図書館 IBMオフィスビル
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日本語文献

評伝文献(1980年代以降刊)
- 『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』 フランツ・シュルツ
澤村明訳、鹿島出版会、1987年/新装版2006年 - 美術史家による大著 - 『テクトニック・カルチャー 19–20世紀建築の構法の詩学』 ケネス・フランプトン
松畑強+山本想太郎訳、TOTO出版、2002年 - 『ミース再考 その今日的意味』 ケネス・フランプトン、デイヴィット・スペースほか
澤村明ほか訳、鹿島出版会「SDライブラリー」、1992年。「SD選書」、2006年 - 『ミース・ファン・デル・ローエ』 デイヴィッド・スペース、平野哲行訳、鹿島出版会〈SD選書〉、1988年
- 『ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて』 高山正實、鹿島出版会、2006年
- 図版解説多数、著者はミースに師事、SOM事務所で設計に従事。
入門書ほか
『ミース・ファン・デル・ローエ 建築家の講義』 小林克弘訳、丸善、2009年墓
1955年と1964年に、自らの建築理念を語った対話録、小著。- 『20世紀建築の3大巨匠+バウハウス』-入門書、写真図版多数
マガジンハウスムック、2002年/改訂版2006年 - 『ミース・ファン・デル・ローエ 1886-1969 空間の構造』-入門書、写真多数
クレア・ジマーマン文/Chizuru Ono(大野千鶴)訳、タッシェン・ジャパン(Taschen Japan)、2007年 - 『トゥーゲントハット邸 ― 建築家 ミース・ファン・デル・ローエ』
栗田仁文/宮本和義撮影 シリーズ World Architecture、バナナブックス、2008年 - 『ファーンズワース邸 ミース・ファン・デル・ローエ』 後藤武、東京書籍、2015年
刊行が古い文献
- 『巨匠ミースの遺産』 山本学治・稲葉武司共著(彰国社、1970年、新装版2014年)- 下記と共に多数重版
- 『現代建築の巨匠 20世紀の空間を創造した人びと』 ピーター(ペーター)・ブレイク
田中正雄・奥平耕造共訳(彰国社、1963年、新版1995年ほか)
※ 他にル・コルビュジェと、フランク・ロイド・ライトの三大巨匠を扱う。 - 『ミース・ファン・デル・ローエ 現代建築家シリーズ』 二川幸夫写真、浜口隆一文、渡辺明次解説(美術出版社、1968年)- ※以下は主に写真集
- 『ミース・ファン・デル・ローエ』 ワーナー・ブレイザー編・解説、渡辺明次訳(A.D.A.EDITA Tokyo、1976年)
- 『ミースの家具 現代の家具シリーズ 5』 ワーナー・ブレイザー編・解説、長尾重武訳(A.D.A.EDITA Tokyo、1981年)
- 『GA.75 ミース・ファン・デル・ローエ バルセロナ・パヴィリオン/トゥーゲントハート邸』 二川幸夫企画・撮影、フリッツ・ノイマイヤー文(A.D.A.EDITA Tokyo、1995年)
- 改訂版『世界現代住宅全集24 トゥーゲントハート邸』 二川由夫編・解説(2016年)
- 『GA.27 ミース・ファン・デル・ローエ ファンズワース邸』 二川幸夫企画・撮影、ルゥドウィッグ・グレイサー文(A.D.A.EDITA Tokyo、1974年)
- 改訂版『世界現代住宅全集30 ファンズワース邸』 二川由夫編・解説(2020年)
- 『GA.14 ミース・ファン・デル・ローエ クラウン・ホール/ベルリン国立近代美術館』二川幸夫企画・撮影、ルゥドウィッグ・グレイサー文 (A.D.A.EDITA Tokyo、1972年)
設計図・設計論集
- 『ミース・ファン・デル・ローエ ファンズワース邸』 ダーク・ローハン文、北村修一製図
GA.DETAIL.1(ディテール1号)、A.D.A.EDITA Tokyo、改訂新版2015年(初版1976年、新版2000年) - 『ミース・ファン・デル・ローエ イリノイ工科大学クラウンホール』「世界建築設計図集34」同朋舎、1984年
- 『バルセロナ・パヴィリオンの空間構成の方法』 高砂正弘、パレードブックス、2009年
脚注
外部リンク
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