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ムルターン

パキスタンの都市 ウィキペディアから

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ムルターンMultanウルドゥー語: ملتان)は、パキスタンパンジャーブ州 ムルターン県の県都である。ムルタンと表記されることもある。人口380万人(1998年の国勢調査)でパキスタン第6の都市にあたる。インダス川支流のチェナーブ川の東に位置し、カラーチーから陸路で966 km,地理的にはだいたいパキスタンの中心部にあり,道路,鉄道,空路などの集まる交通の要衝である。

概要 ムルターン ملتان Multan, 位置 ...

ムルターンは「ピール(スーフィーの聖者)と聖堂の街」として有名で,街にはバザール,モスク,聖堂や壮麗な墓廟がひしめいている。

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歴史

要約
視点

古代

ムルターンは、南アジアの中でも最古の都市のひとつである。サンスクリットで、Mūlasthānという言葉が現在の都市の名前の由来である。これまでの考古学調査からムルターンは、モヘンジョ・ダロあるいはハラッパーなどと同時期に興った都市の1つであると考えられている。古代インドの叙事詩マハーバーラタ』では、Malāvaで登場した。

ムルターンを最初に征服した外国の勢力はアレクサンドロス3世であるといわれている。その後、ムルターンは、グプタ朝の領土の一部になった。

イスラーム襲来

712年シンド人に引きつられる形でイスラーム勢力がムルターンに侵攻した。イスラーム勢力を率いたのは、ムハンマド・ビン・カースィム英語版en:Muhammad bin Qasim)であった。カースィムの侵攻により、ムルターンにもイスラームがもたらされることとなったが、ムルターンはそれでもなお、一独立勢力として維持してきた。しかし、1005年ガズナ朝マフムードMahmud of Ghazni)であった。マフムードは、ムルターンにあった太陽寺院や偶像の破壊を実施した。

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マフムード1世。ムルターンを征服した。
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1150年代に遡るシャー・ガルデズ墓廟

モンゴル襲来

ムルターンの中世は、スーフィズムの中心であったことが分かっている。その証は、現在のムルターンには数多くの聖者廟(ダルガー)が残されていることから明らかである。例えば、モンゴルの征服時代に、殺戮を止めるように説き伏せた聖者バハー・ウル・ハックのダルガー、「世界の柱」を意味するシャー・ルクネ・アーラム(建設は14世紀トゥグルク朝時代、もともとはトゥグルク朝の皇帝ギヤースッディーン・トゥグルクが自らの廟のために建設した)、1380年ごろに建設されたシャー・シャムス・タブレーズのダルガーなどである。

グジャラート・スルターン朝

グジャラート・スルターン朝のスルターン、マフムード・シャー1世(マフムード・ベガダ)の治世に、ムルターンからロマニ系のムルターニー英語版グジャラートパンジャーブへ移住した。

ムガル帝国

時代を経て、ムガル帝国の時代は200年間続いた。1735年には、当時、ムルターンを支配していたナワーブ・アブドゥル・サマド・ハーンの命令により、イドガー・モスクが建設された。

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1735年創建のモスク

1757年には、アリー・ムハンマド・ハーンによって、アリー・ムハンマド・モスクが建設された。現在、ムルターンに残る建物の多くがこの時代に建設されたものである。当時のムルターンは農業生産が向上しており、このような建設事業が可能となった。

その後、しばらくの間、ムルターンは、アフシャール朝ナーディル・シャーの支配を受けたが、幸いにも破壊をまぬかれることができた。

ムルターンは、ムガル帝国の衰退を目撃することで、難しい時代を経験してきた。アフマド・シャー・ドゥッラーニーが創設したアフガン人王朝のドゥッラーニー朝が衰退すると、ムルターンはパシュトゥーン人の支配を受けた。

シク王国

シク教徒は、パシュトゥーン人が支配するムルターン地方を攻撃し、パシュトゥーン人はムルターンの周辺に住むことを余儀なくされ、ムルターンはシク教徒が治めることとなった。しかし、シク教徒の支配は長く続くことはなかった。徐々にパンジャーブ地方にはイギリスが勢力を拡大していったのである。イギリスとシク教徒の間で戦闘が行われた(シク戦争)。

イギリス領インド帝国

最終的にはイギリスが支配することとなった(British India)。

パキスタン

1947年にパキスタンが独立すると、ムルターンはパンジャーブ州に所属することとなったが、植民地時代にはわずかに鉄道が建設されただけであり、独立当時のムルターンは、産業、病院大学といった社会的なインフラストラクチャーの全てが欠如していた。これらのインフラストラクチャーは、独立後、徐々に整備され、経済的に発展を遂げるようになった。

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住民

言語

サライキ語母語者が最も多いが、パンジャーブ語母語者も多く、また国語ウルドゥー語も広く使用される。

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交通

施設・歴史的建造物

姉妹都市

脚注

関連項目

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