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メイッティーラ

ミャンマーの都市 ウィキペディアから

メイッティーラ
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メイッティーラMeiktila)は、ミャンマーの都市である。ミャンマー中部のマンダレー地方域にあり、メイッティーラ湖のほとりに位置する。古くから交通の要衝であり、ヤンゴンマンダレーを結ぶバスがこの町を通る。メークテラ、メイクテラ、メティラとも表記される。人口は2014年時点で約30.9万人。

概要 メイッティーラ မိတ္ထီလာမြို့, 位置 ...
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歴史

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防空壕に住むビルマ人家族がイギリス兵と茶を飲んでいる(1945年3月10日)

メイッティーラという地名は古代インドに栄えたミシラ王国から来ている。

11世紀19世紀にかけて、この地域にはミャンマー中央乾燥地域を故郷に持つビルマ人の王朝が続いた。

1885年コンバウン王朝イギリス第三次英緬戦争で敗北した。ビルマ全土がイギリスの植民地となり、英領インドに併合された。

1945年日本軍とイギリス軍がイラワジ会戦を行い、イギリスが勝利した。

1948年ビルマ連邦がイギリスから独立した。メイッティーラではカレン族の反乱が起きた。

2013年3月22日、反ムスリム暴動が発生し、何十人もが殺害され、1.2万人以上が家を追い出され、非常事態宣言が出された。[1] [2] [3]。 暴動は国内のオクフォギョビンガウクに飛び火した。 [4]

地理

メイッティーラ地方はミャンマーの中央乾燥地帯にある地区の中で最も東に位置する[5]ウォンドウィン英語版ミンジャン英語版ヤメティン英語版の間にあり、東側はシャン州に接している。この地域の最大の特徴は、人工的な灌漑・貯水池で長さが7マイル (11 km)、幅が0.5マイル (0.80 km)あるメイッティーラ湖英語版である[5]。モンダイダムは湖に水を供給している。

気候

メイッティーラはサバナ気候ケッペンの気候区分 Aw)である。気温は一年を通して非常に高い。モンスーン前の月(3月から5月)は特に暑く、平均最高気温は36 °C (97 °F)前後になる。冬の乾期(11月から4月)と夏の雨期(5月から10月)がある。

さらに見る Meiktila (1981–2010)の気候, 月 ...

文化

市内にある有名な仏塔は、シュウェミンティン(Shwemyintin)、シュウェインミー(Shweyinmi、アサ・フテートネシント asa Hteethonesint)、ナガヨン英語版(Nagayon)、イェレ(Yele)、スタウンピイ(Sutaung Pyi,)、フパウン・ドー・ウ・パゴダ英語版(Hpaung Daw U Pagoda)、パウンダウー(Phaungdawoo)である。

教育

メイッティーラには国立のミャンマー航空宇宙工業大学英語版、およびメイッティーラ大学、メイッティーラ経済大学英語版メイッティーラコンピュータ大学英語版メイッティーラ科学技術大学英語版、メイッティーラ教育大学などの地方大学がある。

市内にある6つの公立基礎教育高校英語版のうち、メイッティーラ第1基礎教育高校英語版が最も競争率が高いと考えられている[要出典]

メイッティーラには以下に記す2つのミャンマー空軍の空軍基地がある。

  • メイッティーラ空軍基地および中央司令部の本拠地
  • シャンテ空軍基地 - メイッティーラ北部のピータールヤール(Pyitharyar)に位置する

宗教問題

仏教徒の多いミャンマーであるが、メイッティーラの人口約31万人のうち約3万人がイスラム教徒であると推定されている。20世紀後半の軍事政権時代には、宗教上の対立は問題視されてこなかったが、2012年にラカイン州で宗教対立が表面化すると(ラカイン州暴動 (2012年)英語版)、メイッティーラにも波及。イスラム教徒の居住地が破壊され、衛星写真からも確認される規模となった。一連の衝突により43人以上が死亡した[7]

ギャラリー

出典

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