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メルシータカオー

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メルシータカオー[1]日本競走馬2004年J・GI中山大障害に優勝した。

概要 メルシータカオー, 欧字表記 ...

経歴

2002年の1月に中央競馬にて平地競走でデビューし、3戦目で初勝利を挙げたが昇級後は惨敗続きで障害競走に転向することとなる[3]。入障後5戦目で障害レースに初勝利、昇級2戦目の秋陽ジャンプステークスでオープン初勝利を挙げる[4]。その後の重賞戦線でも安定した活躍を見せるようになり、年明けて2004年の中山グランドジャンプでは7番人気ながらブランディスの2着に逃げ粘る[5]。続く東京ハイジャンプは1番人気に支持されたが、メジロロンザンの3着[6]。休養を挟み、秋季はイルミネーションジャンプステークスから始動して9着[3]。そして迎えた同年暮れの中山大障害では、重賞3連勝で臨んだロードプリヴェイルが1.7倍の圧倒的1番人気を集める中、レースでは序盤から果敢に先頭を奪うと終始安定した飛越で後続を寄せ付けず、直線では粘るメジロオーモンド以下を振り切って6馬身差の圧勝となった[3]。なお、鞍上の出津孝一は年末のこのレースが2004年初勝利であり、同時にこの年唯一の勝ち鞍となった[3]。管理する武宏平も、1985年毎日王冠ゴールドウェイで制して以来の重賞制覇となった[3]。翌年、中山グランドジャンプを目指してペガサスジャンプステークスに出走し7着とし、その後グランドジャンプに向けて調整を行っていたが屈腱炎を発症し長期休養に入る。復帰戦は1年半後の2006年10月の500万下条件戦で久々の平地競走に出走し、14着[4]。レースの1か月後に浅屈腱炎を再発させ、2度目の長期離脱を余儀なくされた[4]。2007年9月25日、放牧先のMS遠野で運動中に骨折し、翌26日に安楽死処分となった[7][8]。同日に競走馬登録を抹消[8]

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.com[9]、JBISサーチ[10]に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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血統表

メルシータカオー血統(血統表の出典)[§ 1]
父系テスコボーイ系
[§ 2]

サクラユタカオー
栗毛 1982
父の父
*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
父の母
アンジェリカ
1970 黒鹿毛
*ネヴァービート
Never Beat
Never Say Die
Bride Elect
スターハイネス *ユアハイネス
スターロツチ

ウィスパーモア
1986 鹿毛
マルゼンスキー
1974 鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
*シル
Shill
Buckpasser
Quill
母の母
メルシーブルー
1976 鹿毛
*ダイアトム
Diatome
Sicambre
Dictaway
マミーブルー *ネヴァービート
リーガルローブ
母系(F-No.) リーガルローブ系(FN:1-e) [§ 3]
5代内の近親交配 ネヴァービート 3×4=18.75%、Princely Gift 3×5=15.63%、Nasrullah 4・5(父内) =9.38% [§ 4]
出典

脚注

外部リンク

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