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ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン
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「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」 (You Keep Me Hangin' On) は、スプリームスの1966年のシングル。作曲はホーランド=ドジャー=ホーランド。本作はグループの8番目のナンバーワンシングルであり、Billboard Hot 100において1966年11月13日から11月27日まで1位の座を保った[2][3]。
「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」はその後もロッド・スチュワート、ヴァニラ・ファッジ、ボックス・トップス、カラーボックス、リーバ・マッキンタイア、キム・ワイルド、アレサ・フランクリンと言った様々なアーティストによってカヴァーされている。
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歴史
オリジナル
本作はゴスペルと同様のコールアンドレスポンスの要素を使用する前作「恋はあせらず」と比べて、初期のファンクやリズム・アンド・ブルースを基礎とする。イントロの特徴的なギターリフはモールス符号のような無線信号を聞いたラモント・ドジャーによるアイデアである[4]。曲はホーランド、ドジャー、ホーランドがコラボレイトして作曲されたものである[5]。
ギター、ドラムおよびダイアナ・ロス、フローレンス・バラードのヴォーカルを含む多くの音源がマルチトラックで録音された。ホーランド=ドジャー=ホーランドはこの曲をスプリームス、ファンク・ブラザースと共に録音し、最終決定版が出来上がるまで8回のセッションを行った[4]。
この曲はスプリームスの曲の中で頻繁にカヴァーされた曲の内の一つである。スプリームスは1966年10月29日(土)にABCのバラエティ「ハリウッド・パレス」で演奏した[6]。
「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」は1967年のアルバム『スプリームス・シング・H-D-H』からの最初のシングルであった。オリジナル・ヴァージョンはローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500で234位となった[7]。
パーソナル
- リードヴォーカル:ダイアナ・ロス
- バックヴォーカル:フローレンス・バラード、メアリー・ウィルソン
- 演奏:ファンク・ブラザース
チャート順位
先代 ジョニー・リヴァース 「僕等の街」 |
Billboard Hot 100 1位(スプリームス) 1966年11月19日 - 11月26日(2週) |
次代 ニュー・ヴォードヴィル・バンド 「ウインチェスターの鐘」 |
先代 エディ・フロイド 「ノック・オン・ウッド」 |
Billboard Hot R&B Singles 1位(スプリームス) 1966年11月26日 - 12月17日(4週) |
次代 テンプテーションズ 「アイム・ルージング・ユー」 |
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ヴァニラ・ファッジによるカヴァー
ヴァニラ・ファッジはデビュー・アルバム『キープ・ミー・ハンギング・オン』(1967年)に、7分にも及ぶ同曲のサイケデリック/ハードロック版カヴァーを収録した。レコーディングは1つのテイクで完了し、7インチ盤シングル用に約3分に編集されたものが彼等の最初のシングルとして発表され[8]、Billboard Hot 100で6位を獲得した。
メンバーのカーマイン・アピス(ドラムス)は、2013年12月13日に行われた examiner.com の音楽評論家レイ・シャショによるインタビューで、スプリームスのカヴァーというのは誰のアイデアだったのかを尋ねられ、「キープ・ミー・ハンギング・オン」の始まりに関して次のように語っている。
「 | それはマークとティミー[注釈 1]さ。僕らは曲のテンポを落とし、歌詞を聴いて、以前はよく歌詞が決めていたことを見習おうとした。それは傷心の歌だった。それに多くの感情が込められていた。「ピープル・ゲット・レディ」[注釈 2]はゴスペルに似ていた。「エリナー・リグビー」[注釈 3]は少々不気味で、教会のようだった…ホラー映画か何かのように。もし君がスプリームスの「キープ・ミー…」を初めに聴いたなら、それは幸福に聞こえるけれど、歌詞は全然幸福じゃない。もし君がその状況で生活したなら、歌詞は確実に幸福じゃない。... | 」 |
2019年にはクエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』本編で起用された。
チャート順位
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キム・ワイルドによるカヴァー
要約
視点
「キープ・ミー・ハンギン・オン」は1986年にイギリス人歌手のキム・ワイルドによってカヴァーされた。アルバム『アナザー・ステップ』からの第2弾シングルとしてリリースされた(「キープ・ミー・ハンギング・オン」は同アルバムからの最初の世界同時発売となった。第1弾シングルは主要国のみでのリリースであった)。
ワイルドのヴァージョンはオリジナルから大きくアレンジされ、スプリームスのモータウン・サウンドから1980年代のパワーポップ/Hi-NRGへと完全に姿を変えた[10]。ワイルドは兄であるプロデューサーのリッキー・ワイルドと共に、この曲を録音すると決めてから数年間それを聴くことは無かった。
彼らはこの曲をよく知っていなかったので、全く新しい曲として扱い、オリジナルの歌詞を少々変更までした。曲はワイルドのキャリアの中で最大のヒットとなり、母国のチャートで2位を獲得、ヨーロッパ各国やオーストラリアでトップ10に入るヒットとなった。また、アメリカでは1987年6月にBillboard Hot 100で1位となった。後には1987年の Billboard's Hot 100 年末チャートで34位となった。
2006年にワイルドはドイツ人歌手のネーナと共に新しいヴァージョンを録音、これはアルバム『ネバー・セイ・ネバー』に収められた。
ミュージックビデオ
シングルのプロモーションのためにミュージックビデオが制作された[11]。
チャート順位
先代 U2「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」 |
Billboard Hot 100 1位(キム・ワイルド) 1987年6月6日(1週間) |
次代 アトランティック・スター「オールウェイズ」 |
リーバ・マッキンタイアによるカヴァー
カントリー歌手のリーバ・マッキンタイアは1996年のアルバム『スターティング・オーヴァー』でこの曲をカヴァーした。本作はマッキンタイア唯一のダンス・ミュージックで、Hot Dance Club Playで2位を獲得した[20]。
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国内アーティストによるカヴァー
- 森山良子(1969年 アルバム『Sings favorites』)
- 野口五郎(1974年 アルバム『GORO in SUNPLAZA ~甘い生活~』)※1976年には木曜スペシャル『輝け!五郎・マペット ゲバゲバ90分!』(日本テレビ系)で、ヴァニラ・ファッジ版のオルガン、ギター、ベース、ドラム、ボーカルを全て担当して演奏した。
- ピンク・レディー(1977年 アルバム『サマー・ファイア'77・Live at 田園コロシアム』)※アメリカでの第3弾シングルになる予定だった。
- 西城秀樹(1978年 アルバム『バレンタインコンサート』)
- 五木ひろし(1978年 アルバム『THE WORLD OF HIROSHI LAS VEGAS '78』)
- 河合奈保子(1982年 アルバム『ブリリアント』)
- 早見優(1987年 アルバム『GET DOWN!』)
- 松本典子(1987年 シングル『KEEP ME HANGIN' ON 〜誘惑を抱きしめて〜』)
- 山本理沙(1987年 シングル『キープ・ミー・ハンギン・オン』)
- 柳ジョージ(1991年 アルバム『GOOD TIMES 3』)
- ザ・タイガース(2001年『ザ・タイガース レア&モア・コレクションⅠ』、2013年 『ザ・タイガース 1968-1971 -ブルー・ディスク』(音源は1969年)
- ザ・テンプターズ(2015年 『ザ・テンプターズ ツイン・デラックス−THE 50TH ANNIVERSARY OF THE TEMPTERS−』)
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脚注
関連項目
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