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リッキー・ピアース

アメリカのバスケットボール選手 ウィキペディアから

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リッキー・チャールズ・ピアース (Ricky Charles Pierce, 1959年8月19日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長193cm、体重93kg。ポジションはシューティングガードNBAミルウォーキー・バックスなどで活躍し、2度のシックスマン賞に輝いた。

概要 引退, ポジション ...
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経歴

ピアースはワラワラ短期大学を経てライス大学に進学し、4年次に平均26.8得点の好成績でカンファレンス年間最優秀選手に選ばれた。通算1,847得点は学校史上3位の記録であり、背番号『25』は大学の永久欠番に指定されている。

1982年、ピアースはNBAドラフト全体18位でデトロイト・ピストンズに入団した。1年目は平均6.8分2.2得点に留まり、シーズン終了後サンディエゴ・クリッパーズにトレードされた。クリッパーズで迎えた2年目に出場時間を大きく伸ばし、シーズン中のサンアントニオ・スパーズ戦では30得点をあげた。

1984年、ピアースは大型トレードの一環としてミルウォーキー・バックスに移籍した。バックスでは主にシックスマンとして重要な役割を担い、1985-86シーズンにはチームのカンファレンス決勝進出に貢献した。翌1986-87シーズン、ピアースは平均19.5得点の好成績でシックスマン賞を受賞した。その後、プロ8年目となる1989-90シーズンに自己最高の平均23.0得点(先発なしでの記録としては史上1位)及び1試合45得点をあげて2度目のシックスマン賞に輝いた。翌1990-91シーズンには自身唯一のオールスター出場を果たしたが、その直後にデール・エリスと交換でシアトル・スーパーソニックスにトレードされた。

ソニックスでは先発の座につき、1991-92シーズンにはチームトップの平均21.7得点をあげた。同年、当時史上2位となる75本連続フリースロー成功を記録した。翌1992-93シーズン、ゲイリー・ペイトンらとともにソニックスをカンファレンス決勝に導いたがフェニックス・サンズに敗れた。翌シーズンはベンチ出場に戻り、1994年ゴールデンステート・ウォリアーズに移籍した。

以降は足や背中の怪我もあってかつてのパフォーマンスを発揮することはなく、3年間でウォリアーズをはじめ5球団を渡り歩いた。1997年古巣バックスに復帰し、1シーズンプレーした後現役を引退した。

NBAでの成績は、969試合の出場で通算14,467得点(平均14.9得点)、フリースロー成功率.875であった。

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個人成績

* リーグ1位
太字 キャリアハイ

レギュラーシーズン

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プレーオフ

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関連項目

外部リンク

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