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リービング・ラスベガス
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『リービング・ラスベガス』(Leaving Las Vegas)は、1995年製作のアメリカ映画。ジョン・オブライエンの半自伝小説を原作にマイク・フィギスが映画化した。 ラスベガスを舞台に、脚本家であったアルコール依存症の男性と娼婦のラブストーリー。
ニコラス・ケイジは第68回アカデミー賞で主演男優賞を、第53回ゴールデングローブ賞で主演男優賞を獲得した。
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ストーリー
ハリウッドで売れっ子脚本家だったベン(ニコラス・ケイジ)は酒が原因で会社をクビになり、金銭面で救いを求めた友人にも拒絶され、妻子も逃げていった。ベンは会社から退職金がわりの小切手を手にしたことで、死ぬまで酒を飲み続けようと決意し、映画の街ロサンゼルスから、酒を24時間飲めるカジノの街ラスベガスに車を走らせ、寂れたモーテルに滞在する。
ベンはネオン輝くラスベガスの街を車で走らせていたある日、路上で高級娼婦のサラ(エリザベス・シュー)と出会い、1時間500ドルの口約束を結び、モーテルの一室に連れ帰り、一夜を共にする。
翌日、帰宅したサラは、ロシア系マフィアのユーリ(ジュリアン・サンズ)に一晩の稼ぎが悪いと脅され、再びネオンの街へ客を探しに出掛けていく日常に戻る。数日後、マフィアの仲間に追われているユーリは、自身の身に危険が迫ったことを察知し、サラに別れを告げる。
晴れて自由の身になったサラは、ベンのいるモーテルにふたたび戻り、絶望の中で見つけた孤独同士の2人の不思議な関係が始まるが、「一緒に暮らそう」と言い出すサラに、ベンは一緒に暮らす条件として「絶対に酒をやめてと言うな」と念を押す。果たして、退廃の街を舞台に出会った2人の真実の愛の物語の行方は・・・。
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キャスト
※括弧内は日本語吹替
- ベン・サンダーソン - ニコラス・ケイジ(山寺宏一)
- サラ - エリザベス・シュー(勝生真沙子)
- ユーリ - ジュリアン・サンズ(田中正彦)
- ピーター - リチャード・ルイス(稲葉実)
- マーク・ナスバウム - スティーヴン・ウェバー(家中宏)
- デビー - エミリー・プロクター
- テリー - ヴァレリア・ゴリノ(湯屋敦子)
- ラスベガスのバーテンダー - グレアム・ベッケル
- 銀行出納係 - キャリー・ローウェル
- ミスター・シンプソン - トーマス・コパッチ
- モブスター - エド・ローター
- モブスター - マイク・フィギス
- カウンターの男 - R・リー・アーメイ(大塚周夫)
- バーの娼婦 - マリシュカ・ハージティ
- バーテンダー - ダニー・ヒューストン
- 女主人 - ローリー・メトカーフ
- バイカー・バーのバーテンダー - ジュリアン・レノン
- モールの男 - ボブ・ラフェルソン
- タクシー運転手 - ザンダー・バークレー(目黒光祐)
- タクシー運転手 - ルー・ロウルズ
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原作者/ジョン・オブライエン
1960年5月11日、アメリカのレイクウッド (オハイオ州)で生まれる。レイクウッド高校を78年に卒業した翌年、19歳でリサ・カークウッドと結婚し、法律事務所で職に就くが、この頃からアルコール依存症となる。
83年に夫婦でロサンゼルスに移り住み、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に入学し、ジョンは作家を目指す。
90年、妻リサのために、半自叙伝となる小説『リービング・ラスベガス』をカンザス州の小さな出版社ウォーターマーク・プレス社より刊行したが、売れ行きは2千部にも満たない状況だった。92年に映画化の話が持ち上がった後、ニューヨーク州の出版社グローヴ・プレス社がペーパーバッグの版権を買い取り、同小説を安価なペーパーバックで刊行。
ジョンは小説執筆のために、治療を受けながら一時的に禁酒(88年から90年)に成功したが、再び飲酒を始め、92年に妻リサと離婚。
映画化が94年3月に決定したが、その2週間後となる4月10日にジョンは拳銃で頭を打ち抜いて自殺した。部屋に残されていたのは、ピザの箱と半分空になったウォッカのボトルだけだった。享年34歳。
サウンドトラック
要約
視点
マイク・フィギスとは映画『ストーミー・マンディ』(1988年)以来の親交があるスティングがジャズ・スタンダード3曲を歌い上げている。「エンジェル・アイズ」(1953)はマット・デニスの楽曲。「マイ・アンド・オンリー・ラブ」(1953年)はロバート・メリンとガイ・ウッドが手掛けた楽曲。「ロンサム・オールド・タウン」(1930年)はチャールズ・キスコとハリー・トビアスが作った失恋ソングで、過去にデューク・エリントン、リナ・ホーンもカバーしている。なお、この3曲はフランク・シナトラが過去にすべてカバーしている。
イーグルスのドン・ヘンリーが歌う「降っても晴れても」(1946年)は、ハロルド・アーレンとジョニー・マーサーがミュージカル『セントルイス・ウーマン』のために手掛けたラブ・ソングで、過去にビル・エヴァンスやサラ・ヴォーンもカバーしている。
同サントラに収録のヴォーカル曲は、スティングの3曲とドン・ヘンリーの1曲以外に、ニコラス・ケイジが口ずさむ1分ほどの「リディキュラス」、パラディノスが1994年にリリースしたアルバム『Travelling Dark 』収録曲の「ゴーイング・サウス・フォー・ア・ホワイル」の計6曲となっており、その他の楽曲はすべてマイク・フィギスが担当した。
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評価
レビュー・アグリゲーターのRotten Tomatoesでは54件のレビューで支持率は89%、平均点は7.60/10となった[2]。Metacriticでは23件のレビューを基に加重平均値が82/100となった[3]。
備考
脚注
外部リンク
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