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ルーブ・マーカード
アメリカ合衆国の野球選手 (1886-1980) ウィキペディアから
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リチャード・ウィリアム・"ルーブ"・マーカード(Richard William "Rube" Marquard、1886年10月9日 - 1980年6月1日)は、1910 - 1920年代に活躍したアメリカ合衆国・メジャーリーグの野球選手。ポジションは投手。オハイオ州・クリーブランド生まれ。左投げ、スイッチヒッター。
ニックネームの"Rube"(『田舎者』の意)は、マイナーリーグ時代に、当時活躍していた左腕投手ルーブ・ワッデルになぞらえて記者がつけたもの。
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経歴
1908年にマイナーのインディアナポリス球団から、当時としては破格の11,000ドルの契約金でニューヨーク・ジャイアンツに入団する(当時は契約金13,000ドルと報じられ、当時マーカードは『13,000ドルのレモン』と呼ばれた)。しかし2年目の1909年は29試合に登板し、防御率2.60ながら5勝13敗、3年目は13試合で4勝4敗となかなか勝ち星に恵まれなかった。
しかし4年目の1911年に、縦に落ちる変化球を習得して成績が急上昇する。同年リーグ最多の奪三振237を含む24勝を上げ、ジャイアンツをリーグ優勝に導く。次の1912年は開幕から負け知らずで、開幕戦の4月11日から7月3日にかけて、19世紀のティム・キーフの記録に並ぶシーズン19連勝を含む26勝を挙げて最多勝利投手となった。翌1913年も23勝10敗とし3年続けて20勝以上を上げ、ジャイアンツのリーグ3連覇に貢献した。この頃マーカードが投げていた変化球は、現在でいうスプリットフィンガード・ファストボールの原型ではないか、という一部野球史家の指摘がある。[1]
1915年4月にはノーヒットノーランを達成するも不調で、同年シーズン途中にブルックリン・ロビンズに移籍する。ロビンズには5年間在籍し、ワールドシリーズには2度出場した。その後レッズ、ブレーブスと球団を渡り、1925年、38歳で現役を引退する。引退時の通算奪三振数は、当時左腕投手として歴代3位の数だった。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル・記録
打撃成績
- 通算成績:536試合、1107打数198安打、本塁打1、打点64、打率.179
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脚注
外部リンク
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