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ロニ・アンダーソン

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ロニ・ケイ・アンダーソン(Loni Kaye Anderson、1945年8月5日 - 2025年8月3日)は、アメリカ合衆国女優。1978年から1982年にかけて4年間放映されたテレビドラマ『かっとび放送局WKRP』のジェニファー・マーロウ英語版役で知られる。

概要 ロニ・アンダーソン Loni Anderson, 本名 ...
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生い立ち

ミネソタ州セントポール環境化学者の父クレイドン・カール・"アンディ"・アンダーソンとモデルの母マクシーン・ヘーゼル(旧姓カリン)の娘として生まれ、同州郊外のローズビル英語版で成長した。1963年、ローズビルのアレキサンダー・ラムジー・シニアハイスクールの最上級生の時に、バレンタインデー・ウィンター・フォーマルのクイーンに選ばれた[1]。高校卒業後、ミネソタ大学ツインシティー校に通った[2]。彼女の自叙伝「My Life in High Heels」によれば父親は当初「レイロニ」 (Leiloni) と名付けようと考えていたが、10代になった時に「Lay Loni.」(俗語でロニとセックスして)と曲解されかねないと気付き、単に「ロニ」と変えた。

経歴

要約
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1992年のアンダーソン

銀幕デビューは1966年のスティーブ・マックイーンが主演した映画『ネバダ・スミス』である。その後は1970年代中頃からテレビ番組にゲスト出演するようになるまで、女優としては約10年間に及ぶ空白期間が続いた。1975年に『特別狙撃隊S.W.A.T.』の2つのエピソード、シットコムPhyllis』の1エピソードに出演。

最大の当たり役はCBSのシットコム『かっとび放送局WKRP』(1978–82年)の官能的な受付嬢ジェニファー・マーロウである。番組プロデューサーはアンダーソンが赤いビキニを着て、1976年のファラ・フォーセットの有名なピンナップを模したポーズをとっているポスターを見てこの役に抜擢した。製作者のヒュー・ウィルソンは、アンダーソンがジェーン・マンスフィールドの肉体とマリリン・モンローの無垢なセックスアピールを兼ね備えていたので、この役を射止めたと明かした。4年間を通してニールセン英語版の視聴率調査では振るわなかったが、ティーンエイジャー、ヤングアダルト、ディスクジョッキーの間に根強い支持者がいた。番組のいわゆる「目玉」としての人気が高まり、1980年夏のシリーズ中断期間にアンダーソンはシットコム出演を拒否し、相当額のギャラアップを要求した。中断期間の契約再交渉中に、CBSのテレビ映画『愛しのジェーン・マンスフィールド英語版』(1980年)で主役のブロンド悩殺美人ジェーン・マンスフィールドを演じた。CBSが彼女の要請を受け入れると、アンダーソンは『WKRP』に戻り1982年の番組打ち切りまで出演を続けた。『WKRP』は各国に番組販売され、長く人気を保った。

女優としての実績以外にも華やかな私生活、特に俳優のバート・レイノルズとの交際・結婚が注目を集めた。2人は評価も興行成績も不首尾に終わった、1983年のコメディ映画『ストローカーエース』で共演した。1984年、スティーブ・マーティン主演のロマンチックコメディー『スティーブ・マーティンのロンリー・ガイ』に自分自身として出演。1989年、アニメ映画『天国から来たわんちゃん』でラフ・コリーのフローの声を演じた。

1980年代には、アンダーソンの経歴に徐々に陰りが見えていった。1984年、酷評されたテレビシリーズ『Partners in Crime』でワンダーウーマン女優リンダ・カーターと共演。古典的ハリウッド映画をテレビ映画としてリメイクした『三人の妻への手紙』(1985年放映、ミシェル・リー英語版と共演。)や『私は殺される』(パトリック・マクニーハル・ホルブルックと共演。)のテレビ向けリメイクに出演したが、どちらも殆ど注目されなかった。1990年、映画『Coins in the Fountain』に出演後、1991年のテレビ映画『White Hot: The Mysterious Murder of Thelma Todd』における喜劇女優セルマ・トッドの人物描写は少なからぬ賞賛を受けた。

1990年代初め、CBSの新作コメディ『Evening Shade』で夫のバート・レイノルズと共演しようとしたが、CBS側は難色を示しアンダーソンの代わりにマリル・ヘナーを配した。 1991年、CBSの『浮気なおしゃれミディ英語版』からデルタ・バークが解雇された後任として、製作者はアンダーソンにバークの役を提供したがギャラが折り合わずに実現しなかった。 しかし『かっとび放送局WKRP』新シリーズ (The New WKRP in Cincinnati) の2つのエピソードにジェニファー・マーロウとして復帰する事には同意した。1993年、NBCのシットコム『Nurses』の第3シーズンに病院管理者のケイシー・マカフィー役で出演。番組のテコ入れのための出演であったが、シリーズは間もなく打ち切りとなった。その後は『サブリナ』(1997年)『V.I.P.』(1999年)などの人気テレビドラマにゲスト出演し、また1998年には映画『ロクスベリー・ナイト・フィーバー英語版』に出演した。

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私生活

アンダーソンは4回結婚した。ブルース・ハッセルバーグ(1964年–66年)、ロス・ビッケル(1973年–81年)、俳優で共演者でもあったバート・レイノルズ(1988年–93年)。2008年5月17日、ブラザース・フォアの創立メンバーの1人であるボブ・フリックと結婚[3]。2人は1960年にフリックのグループの曲「グリーンフィールズ」がポップチャート2位に入った数年後に、アンダーソンの故郷セントポールでの映画プレミアで出会った。式典には友人と家族(息子のクイントン・レイノルズを含む)が参加した。

彼女には2人の子供がいる。最初の結婚で生まれた娘[4]、ディードラ・ホフマンは[5]カリフォルニアの学校経営者である[6]。バート・レイノルズとの間には、息子クイントン・アンダーソン・レイノルズ(1988年8月31日 - )が生まれた[7]。1997年、自叙伝「My Life in High Heels」を著した。

喫煙者で慢性閉塞性肺疾患(COPD)に冒された両親と共に育ったアンダーソンは[8]、国立呼吸器健康教育プログラム (NLHEP) キャンペーン[8]及びCOPDと介護者支援の認識を広める[9]COPDTogether[10]のスポークスウーマンとなった[8]

アンダーソンはルター派として育った[11]

2025年8月3日、ロサンゼルスの病院で病死した。79歳没[12][13]

主な出演作品

映画

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テレビ

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脚注

外部リンク

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