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一世風靡セピア

かつての日本の路上パフォーマンス集団 ウィキペディアから

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一世風靡セピア(いっせいふうびセピア)は、1980年代に活躍した男性路上パフォーマンス集団・劇男一世風靡から派生したユニット

概要 一世風靡セピア, 出身地 ...

メンバー

解散時メンバー

旧メンバー

概要

劇男一世風靡の中で、上の者が「歌やりたいヤツ手挙げろ」とレコード発売などの活動をしたい者を募ったところ、手を挙げたのがこの7名で、そのまま一世風靡セピアとして結成された。「SHIBUYA」のツアーパンフレットにあった柳葉のコメントによると「それぞれの色を持った奴らを混ぜ合わせたらどんな色になるだろう」というのがセピアの由来の一つだったとしている。

1984年4月25日、「今、我に正直に生きてみたい」でポスターデビュー(2万枚限定)後に、音楽活動開始。『前略、道の上より』『賽を振れ!』『汚れっちまった悲しみに…』等ヒット曲を出したが、1989年7月31日、渋谷公会堂公演をもって解散。メンバーは卒団や消滅という言葉を使った。

夜のヒットスタジオ』の初出演が決まった際は、「来日アーティストの様に階段からメンバーが降りてくるような特別待遇にしろ」との希望が通ったため、『NHK紅白歌合戦』のオファーがNHKから届いた際にも、「劇男一世風靡として寸劇を披露している渋谷のNHK前広場からの生中継にしろ」との希望を出したが、あっさり制作側から拒否されたという話を、哀川が自著『俺、不良品』の中で書いている[2]。メンバー内でも出るか出ないか話し合ったが、出たい者が3人に対し出たくない者が4人だったため結果的に出なかった。哀川は「あんとき、出ときゃ良かった」と語っている。1984年の『ゆく年くる年(民放共同版)』には出演した。

よく中野英雄勝俣州和がこのグループのメンバーだと紹介されることがあるが、彼らはセピアの母体の「劇男一世風靡」のメンバーであり、セピアの付き人ではあるもののメンバーではない。

グループ内でのルールは、「早く家庭を持つこと」「飲酒、喫煙は禁止」(メンバー全員の飲み物は、常にお茶や清涼飲料水を飲んでいた)などである。

2004年HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』コーナー「歌手の殿堂 ザ・レジェンド」(フジテレビ)にて、約15年振りにメンバー7人が再集結した。

2023年2月25日、西村香景、死去、61歳[3][4][5][6]。3月5日、告別式が都内の斎場で営まれ、セピアメンバーら参列した[7]

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ディスコグラフィ

シングル

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アルバム

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映像作品

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タイアップ

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書籍

  1. 一世風靡流図録 道が俺達の背を押した(1984年7月1日、発行:徳間ジャパン 発売:徳間コミュニケーションズ)
  2. 祭(まつり) 一世風靡セピア写真集(1985年3月、小学館ISBN 978-4093947411
  3. 寓話 Association Ⅰ(1985年7月、徳間書店ISBN 978-4195531167

出演

個人の出演歴については、それぞれの項目を参照

テレビ番組

ラジオ番組

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脚注

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関連項目

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