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祐子内親王家紀伊

平安時代院政期の日本の女流歌人 ウィキペディアから

祐子内親王家紀伊
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祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけ の きい、生没年不詳)は、平安時代院政期の日本の女流歌人で、後朱雀天皇の皇女祐子内親王女房女房三十六歌仙の一人。一宮紀伊紀伊君とも呼ばれる。従五位上民部大輔春宮亮平経方の娘とも、藤原師長の娘である堀河院御乳母典侍紀伊三位師子と同一人物ともいわれており父親は定かではない。母は「岩垣沼の中将」の作者祐子内親王家小弁(こべん)。紀伊守藤原重経(素意法師)は兄[1]とも夫[2]とも言われている。

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祐子内親王家紀伊/近世の百人一首かるた[* 1]

経歴

母と同じく祐子内親王家に出仕したこと以外は、伝記的情報はほとんど知られていない。歌人としての活動は、永久元年(1113年)「少納言定通歌合」への出詠まで確認されている。

作品

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私家集
  • 『一宮紀伊集』藤原定家筆本が伝存している。群書類従本は『祐子内親王家紀伊集』と題されている。
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百人一首

  堀河院御時艶書合によめる            中納言俊忠
人しれぬ思ひありその浦風に なみのよるこそいはまほしけれ
  返し                            一宮紀伊
音にきくたかしのはまのあた波は かけしや袖のぬれもこそすれ

『金葉和歌集』 巻第八 恋歌下

逸話

音に聞く高師の浜のはま松も世のあだ波はのがれざりけり
明治時代に高師の浜(現在の浜寺公園付近)の松が薪や材木として伐採されることを嘆いた歌で[4][* 2]、この紀伊の歌の本歌取りである。現在は『惜松碑』と呼ばれる石碑が建てられている。

脚注

関連項目

外部リンク

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