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一尾伊織

江戸時代前期の旗本・茶人 ウィキペディアから

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一尾 伊織(いちお いおり)は、江戸時代前期の旗本茶人一尾通春の子。母は大友吉統の娘。名は通尚。号は徹斎、宗碩、一庵、照庵。

概要 凡例一尾伊織, 時代 ...

略歴

一尾氏は、久我晴通の四男・久我三休が一尾庄に住したことに初まり、その孫が伊織である。寛永10年(1633年)に父が没し、翌年父の遺領のうち1,000石を相続し書院番となった。その後職を辞し小普請となった。貞享元年(1684年)7月19日に致仕し、徹斎と号す。

細川忠興(三斎)家臣の津川四郎左衛門に茶道を学び、三斎流一尾派を創始した。竹の花筒、茶杓の製作に秀いで、琵琶を製作という。元禄2年(1689年)、91歳で没した。著作に「一尾流之書」などがある。弟・通利の子・通命を娘の婿として迎えるが早死にし、その子で孫・通門を養子にするがこれも夭折した。土井甲斐守家臣の大野市左衛門定秀の子・通定が伊織の養子となり家督を継いだ。

参考文献

  • 寛政重修諸家譜
  • 日本人名大辞典(講談社)
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