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一柳頼徳
伊予国小松藩3代藩主 ウィキペディアから
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一柳 頼徳(ひとつやなぎ よりのり)は、伊予国小松藩3代藩主。直卿(なおあきら)の名でも呼ばれる。能書家として知られた。
生涯
寛文6年(1666年)3月18日、第2代藩主・一柳直治の長男として小松に生まれる[1]。母は側室の正寿院。
延宝4年(1676年)、11歳で将軍徳川家綱に初謁[1]。宝永2年(1705年)閏4月15日、父の隠居に伴い、40歳で家督を継ぐ。宝永6年(1709年)4月、従五位下因幡守に叙任[1]。同年9月には駿府加番となった。
頼徳に男子はなく、初めは三弟(正室所生)の直堅を養嗣子とし、将軍への御目見得も済ませていたが、直堅は頼徳が藩主となる直前の宝永2年(1705年)4月に早世している。その後正徳4年(1714年)9月に甥の頼邦(次弟・一柳治良の長男)を養嗣子に迎えている。
享保9年(1724年)10月4日、江戸にて死去、享年59[1]。江戸品川の寿昌寺に葬られた[1]。跡は養嗣子の頼邦が継いだ。
人物・逸話
系譜
脚注
参考文献
外部リンク
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