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一柳頼欽

江戸時代中期の大名 ウィキペディアから

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一柳 頼欽(ひとつやなぎ よりよし)は、江戸時代中期から後期の大名伊予国小松藩6代藩主。

概要 凡例一柳頼欽, 時代 ...

生涯

宝暦3年(1753年)、第5代藩主・一柳頼寿の次男として生まれる。母は堅性院。

長兄の一柳頼忠が早世したため、明和7年(1770年)閏6月に世子となった[1]。頼欽の教育のため、竹鼻正脩が侍講に任じられている[2]

安永8年(1779年)8月7日、父の隠居により跡を継ぎ[1]、同年12月に叙任する[1]

藩政においては、その治世中にたびたび火災に見舞われるという災難が続いた。

寛政8年(1796年)8月15日、江戸で死去し、跡を長男・頼親が継いだ。

系譜

寛政重修諸家譜』によれば子女は3男5女[1]

はじめ牧野惟成の娘を正室に迎えるが離縁[1]。ついで、同族である小野藩一柳末栄の娘を正室として迎えた[1]

脚注

参考文献

外部リンク

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