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一柳頼寿

江戸時代中期の大名 ウィキペディアから

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一柳 頼寿(ひとつやなぎ よりかず[1])は、江戸時代中期から後期の大名伊予国小松藩5代藩主。

概要 凡例一柳頼寿, 時代 ...

生涯

享保18年(1733年)、第4代藩主・一柳頼邦の三男として生まれる[1]。母は玉林院。

三男だったが、長兄と次兄の早世により世子となる[1]延享元年(1744年)の父の死去により12歳で跡を継いだ[1]寛延元年(1748年)閏10月、将軍徳川家重に初謁[1]、同年12月山城守に叙任[1]。寛延2年(1749年)に初めて領国に入った[1]宝暦5年、美濃守に遷る[1]明和3年(1766年)5月、駿府加番を務める。

藩政においては竹鼻正脩を登用し、世子である頼欽の侍講に任じている[4]

安永8年(1779年)8月7日、次男・頼欽に家督を譲って隠居[1]。官位は安永8年12月に上総介、天明2年(1782年)に但馬守にあらたまっている[1]

天明4年(1784年)12月13日(16日とも[1][2])に江戸で死去した。享年52[1]

系譜

  • 父:一柳頼邦(1696-1744)
  • 母:玉林院
  • 正室:なし
  • 側室:堅性院
  • 生母不明の子女
  • 生母不明の子女
    • 四男:一柳寿厚
    • 五男:土屋昌寿
    • 六男:村越成芳 - 村越房成の養子
    • 七男:一柳寿重
    • 女子:一柳直里
    • 女子:神尾元喬
    • 女子:曲直瀬恒幸室 - のち赤井為直

脚注

参考文献

外部リンク

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