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丈部大麻呂 (上総国)

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丈部 大麻呂(はせつかべ の おおまろ、生没年不詳)は、奈良時代貴族はなし。官位従五位上隠伎守

経歴

上総国の人物。聖武朝において、朝廷東大寺盧舎那仏に塗る金の不足にも悩まされていたところ、天平21年(749年)に陸奥国小田郡黄金が発見され、貢進された[1]。このことを記念して、同年4月に天平21年は天平感宝元年と改元される[2]。また閏5月には大赦が行われ、父母を殺したり仏像を損なう者は除いて、全ての罪人が赦免された[3]。続けて陸奥国司および黄金発見に関わった者に対する叙位が行われ、大麻呂は従五位下叙爵した。同時に叙爵した左京人・朱牟須売(しゅ の むすめ)は妻とも考えられる[4]

淳仁朝天平宝字3年(759年斎宮頭に任じられる。その後、藤原仲麻呂の乱などの政変に巻き込まれたらしく位階を剥奪される。

桓武朝延暦2年(783年)になって本位(従五位下)に復す。翌延暦3年(784年)6月に造長岡宮使の一人となり、12月には造営の功労に対する叙位が行われ、大麻呂は従五位上に昇叙された。その後、延暦4年(785年)に織部正、延暦6年(787年隠伎守を歴任している。

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官歴

続日本紀』による。

脚注

参考文献

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