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三十六字母
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概要
例えば、中国語で /t/ で始まる字には「東・都・帯・敦・単」など色々なものがある。そのうち「端」の字を代表として声母 /t/ を「端母」と呼ぶ。
三十六字母の並べ方は唇音(現代でいう両唇音)からはじめる方法と牙音(軟口蓋音)から並べる方法があり、前者のほうが古い。前者の方法で並べると、三十六字母は「幇滂並明 非敷奉微 端透定泥 知徹澄娘[1] 見渓群疑 精清従心邪 照穿牀[2]審禅 影暁匣喩 来日」となる。
歴史
中国の伝統的な声母の分類は、おそらくインドの音韻学の影響によって生まれた[3]。
敦煌出土の「帰三十字母例」(S512)、および「守温韻学残巻」(P2012)と呼ばれる断片には30の字母が記されており、これが古い形と考えられる。後世の三十六字母は、この三十字母の唇音(不芳並明)を重唇音(幇滂並明)と軽唇音(非敷奉微)に分け、「牀娘」を加えたものに相当する。
近年、石井望(石海青)の新説では、敦煌「歸三十字母例」は旋法曼荼羅であり、牙音見組から始まり、正齒音審組及び舌頭音端組を經て、齒頭音精組及び舌上音知組を附し、最後に脣音不紐組まで旋轉して一圓形だとする。左側の「曉匣影」及び「心邪照」もそれぞれ「清濁清」の圓形即ち外清内濁の圓形だとする[4]。
三十六字母の区別がある時代の現実の中国語の頭子音体系として存在したかどうかを疑う者もいる。特に非母と敷母の区別はいかなる時代においても存在した証拠がなく、反切を説明するための人工的な区別である可能性が高い。
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作者
三十六字母の作者について、伝統的にいくつかの説があった。
- 守温説:南宋の王応麟『玉海』巻四十四に「三十六字母図一巻、僧守温」として見える。『宋史』芸文志一に僧守温の著作として『清濁韻鈐』が見える。
- 舎利が作って守温が改良したという説:時代が下るが、明の真空『貫珠集』(万暦重刻本『五音篇海・五音集韻』の附録で、文字・音韻関係の歌訣を集めたもの)によると、唐の舎利が三十字母を作り、後に温首座(守温)が「幇滂奉微牀娘」6字を追加したという[5]。呂維祺『音韻日月灯』も同様である[6]。敦煌の三十字母の発見はこの説を裏付けるようだが、三十字母の作者が守温になっているのはこの説と一致しない。
- 胡僧了義説:南宋の祝泌『皇極経世解起数訣』に見える説。
いずれにしても仏僧が作ったという点では一致している。
中古音との食い違い
三十六字母がそのまま韻書『切韻』の体系に一致するわけではなく、以下のような違いが存在する[7]。
- 『切韻』では重唇音(幇滂並明)と軽唇音(非敷奉微)を区別しない。
- 『切韻』では娘母と泥母の区別はなかった可能性が高い。
- 『切韻』では喩母は2つに分かれる。片方を「于母・云母」、もう片方を「以母・羊母」などと呼ぶ。うち前者は『切韻』では匣母と区別しない。
- 『切韻』では正歯音(照穿牀審禅)が2種類に分かれる。現在では片方を「荘初崇生俟[8]」もう片方を「章昌船書常」と呼び分ける。
三十六字母の音価
要約
視点
以下、セルの上側に字母を示し、下側に平山(1967)による唐代音の推定音価を国際音声記号で示した。中古音と異なる場合は、中古音をカッコ内に記す。
王力による時代別の推定[9]
音価の注
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三十六字母・日本語・ハングル対照表
以下に三十六字母と日本語の漢音・呉音とハングルの対照表を示す。日本語の子音はア段の仮名で示した。
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脚注
参考文献
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