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三日町 (八戸市)

青森県八戸市の大字 ウィキペディアから

三日町 (八戸市)
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三日町(みっかまち)は、八戸中心市街地を構成する街区の一つ。青森県八戸市の地名。

概要 三日町, 国 ...

地理

八戸市中心市街地に位置し、さくら野百貨店八戸店を中心に商業施設が立地している。表通り(国道340号)が地区の中央を東西に通り、八戸市のメインストリート、目抜き通りにあたる。北に番町、東に八日町、南に六日町、西に十三日町に面している。鉄道の駅はJR八戸線本八戸駅が最寄駅である。

歴史

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八戸市三日町通リ(昭和戦前期)

地名の由来

三日町は藩政時代の市が開かれた日にちに由来している。商人の町として江戸時代から栄えていた。

沿革

藩政時代、八戸城下町の中央部に位置する町人町だった。

  • 1629年(寛永6年)頃、根城城下の町家が移転されて三日町がつくられる。(盛岡藩時代)[3]
    • 当時は、現在の十三日町及び、廿三日町の地区と同じように「上町(かみちょう)」または、「根城町」と言われていた。
  • 1646年(正保3年)の雑書によると、この当時19軒の町屋があったと記録されている。[4]
  • 1665年(寛文5年)八戸城下で初めての制札場が三日町に置かれる。
  • 1669年(延宝7年)掫駒が行われる。
  • 1674年(延宝2年)十三日町から出火した火事で、三日町の21軒が焼失。[5]
  • 1696年(元禄9年)この頃すでに酒屋が2軒営業していた。
  • 1861年 - 1864年(文政年間)の八戸御城下略図によると「三日町」の記述があり、町家とされていた。
    • この頃既に城下略図の東端には小路の長横町が記録されている。
  • 1722年(享保7年)酒造業を営んで、後に八戸三店の一つと言われた「豪商近江屋」が現在の盛岡市から三日町に移住
    • 1783年(天明3年)の飢饉の際、「豪商近江屋」が700両を献上。1864年(元治元年)の飢饉でも500両を献上した。[6]
  • 1825年(文政8年)大火で三日町の南側の住宅21軒、土蔵8棟、小屋21棟が焼失。[7]
  • 1829年(文政12年)大火で家屋36軒、44世帯を焼失。[3]
  • 1833年(天保4年)商人町の出入り口として町口門である通称「黒門」が建設される。
    • 場所は現在の三日町交差点。「黒門」の由来は黒塗りの野郎門だったことからそう言われた。[8]
  • 1861年(万延2年)塩小売座商人が1人、木綿屋2人が居住[9]
  • 1868年(明治元年)頃、39軒の家があった。[10]
  • 1890年(明治32年)「向鶴」の記録によると、穀物商2軒、旅人宿1軒、酒造家1軒、陶器商3軒、薬品商1軒、八百屋商3軒、乗合馬車宿1軒、洋服店1軒が三日町に立地していた。
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産業

商業

交流施設

ギャラリー

脚注

外部リンク

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