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三条公睦
日本の江戸時代の公家 ウィキペディアから
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三条 公睦(さんじょう きんむつ、文政11年5月7日〈1828年6月18日〉 - 嘉永7年2月11日〈1854年3月9日〉)は、江戸時代後期の公卿。内大臣・三条実万の子。官位は従二位・権中納言。三条家30代当主。仁孝天皇(120代)・孝明天皇(121代)の二朝に亘って仕えた。
経歴
文政12年(1829年)に叙爵してから、清華家三条家の出身として速いスピードで昇進し、天保12年(1841年)には従三位となり、公卿に列する。嘉永5年(1852年)には従二位権中納言となったが、その2年後には薨去した。享年27。三条家は弟・実美が相続した。
なお、三条家を相続した実美は当初、兄・公睦の子の公恭を継嗣としていたが、公恭の素行が悪かったため、これを廃嫡して実子の公美に三条家を相続させることにした[1]。
系譜
脚注
参考文献
関連項目
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