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三田会
慶應義塾大学の同窓会 ウィキペディアから
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三田会(みたかい)は、卒業年や地域、職域、出身サークルなどごとに活動する慶應義塾大学卒業生の同窓会組織。
卒業生でなくとも教員として在籍した者として入会できる場合もある[1][2]。名称は慶應義塾大学の本部キャンパスが東京都港区三田にあることに由来する。
概要
要約
視点

1880年(明治13年)5月25日に湯島昌平館で行われたもので、約300名が旧友を温め、福澤諭吉や小幡篤次郎が演説を行ったと伝えられる。以後同様の会合が不定期に開催されるようになり、日本各地でも地名を冠して「○○義塾同窓会」と称する会合が頻繁に開催されるようになった。名称に「三田」を付したのは、鉄砲洲・新銭座時代の古い世代と区別する趣旨が当時あったともいわれる。大正時代に入ると、同窓会は「三田会」と呼び名を変え、地域以外の各種三田会も生まれていった[3]。
現在では日本および世界各地に広がる各種三田会総数は865団体あり、約36万人の塾員の多くがこうした三田会に所属している。島田裕巳は三田会について他大学に例を見ない強固な団結力を誇り、生涯に渡って塾員としての誇りとアイデンティティを共有する基盤となっている旨のことを著作に記している[4]。慶應義塾評議員会選挙や企業・組織内外で塾員としての結びつきの強さを示す一方で、その結束力を誇示喧伝する姿勢は、いわば縁故資本主義(クローニー資本主義)として、時に企業や組織に大きなダメージを残し、社会に多大なる影響を与える場合も指摘されている[5][6][7][8][9][10]。
また1921年(大正10年)に東京で最初に生まれた「慶應倶楽部」と称する塾員のサロンも存在し、大阪・神戸・京都ほか全国約10箇所に存在し、ほとんどが常設ルームを持つ。各三田会の活動内容や形態は、創刊以来の塾機関紙『三田評論』に多く掲載されている。帝国ホテル本館の地下には「東京三田倶楽部」があり、犬養毅元首相が生前よく足を運んだことで知られている。数多くある三田会のうち、代表的なものは次の通りである。
- 年度三田会(76団体)[3]
- いわゆる「同期会」に相当するもので、同年卒業生の塾員で構成され、大学卒業と同時に入会する。この三田会最大のイベントは、卒業25年目にその年の卒業式に、50年目に入学式に招待されること。つまり慶應を卒業すると、一生のうちに2度入学式・卒業式に参列できる機会を持てることになる。
- 地域三田会(国内246団体・海外74団体)[3]
- 各地域ごとの塾員で結成される三田会。
- SFC三田会
- 湘南藤沢キャンパス (SFC) の卒業生による三田会。三田キャンパスを使用しないが、三田会の名は引き継いでいる。総合政策学部、環境情報学部、看護医療学部、政策メディア研究科、健康マネージメント研究科の卒業生が卒業と同時に入会。三田会の中で最大級の規模となっている。
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連合三田会歴代会長
これら諸団体を統括するのは、連合三田会と呼ばれる団体である。また、毎年10月頃には塾員の交流を目的とした連合三田会大会が開催されている。
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関連項目
- 慶應義塾大学の人物一覧
- 交詢社(同種の性格の会員制社交倶楽部)
- 銀座BRB(同種の性格の会員制社交倶楽部)
- 三四会(慶應義塾大学医学部出身者の同窓会、三田会の内部組織の1つ)
- 紅梅会(慶應義塾大学看護医療学部出身者の同窓会、三田会の内部組織の1つ)
- 稲門会及び永楽倶楽部(早稲田大学出身者の同窓会及び交友倶楽部)
- 学士会(帝国大学出身者の交友倶楽部)
- 学閥
脚注
外部リンク
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