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中原とほる
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中原 とほる(なかはら とほる、1942年5月30日[1] - )は日本の漫画家、医師。
経歴
山口県出身[2]。父は社会科教師[3]。中原は双子として生まれたが、双子の弟は生後半年で腸閉塞により死去[4]。弟も漫画家になりたかったようでもし自分もなるならペンネームは中原とほるにすると決めていた[4]。
1966-1967年のときに『COM』に初めて漫画『かえるになった次郎』を投稿、選外だったが講評のちばてつやから構図のユニークさや台詞回しの良さが挙げられていた[5]。当初、大学の教育学部で学んでいたが嫌になり、計10年かけて1971年、岡山大学医学部卒業[4][6][7]。四国の病院で働きだして間もない頃、漫画賞に応募するようになって10年、5回目にして1981年、39歳のときに『点とり虫のサンバ』がちばてつや賞佳作を受賞、特選ではなく佳作なことには残念だったが、これで漫画家を目指すようになる[1][4][5]。
愛媛県で整形外科医をしていたときに、1988年開始の『スーパードクターK』に原案協力として関わる[8]。
1993-1994年に『ドクトル・ノンべ』をモーニング、イブニング、月刊アフタヌーンで不定期連載[1][5]。
2024年、以上の経歴がある上で『野球で話せ』が新人漫画賞「ビッグコミック&ビッグコミックオリジナル 第11回青年漫画賞」の松本大洋賞を81歳で受賞[1][9]。
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漫画作品
連載
- 『ドクトル・ノンべ』(1993-1994年、全2巻)
読み切り
- 『鯨の夢』(1986年、コミックモーニング)
- 『野球で話せ』(2024年、ビッグコミックオリジナル)
脚注
外部リンク
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