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中塚駿太

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中塚 駿太(なかつか しゅんた、1994年12月26日 - )は、茨城県つくば市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

概要 信濃グランセローズ 投手コーチ兼選手 #80, 基本情報 ...
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経歴

要約
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プロ入り前

小学校4年生から野球を始め、中学校までは捕手に就いていた。

つくば秀英高等学校投手に転向したが、甲子園出場はなかった。

白鷗大学に進学し、3年秋から実戦に登板し始め、4年秋の新潟医療福祉大学戦で投手人生初の完投を完封で飾った[1]

2016年9月7日にプロ志望届を提出し、同年10月20日に行われたドラフトにて埼玉西武ライオンズから2位指名を受け[2]、契約金7,000万円・年俸1,200万円(金額は推定)で契約した[3]。なお同ドラフトにて阪神タイガースから1位指名された大山悠輔は、高校・大学を通じてのチームメイトである。

西武時代

2017年1月9日、西武の新人合同自主トレで走り込み中に腰の張りを訴え、途中リタイアしたと報じられた[4]。5月4日、二軍イースタン・リーグ初登板、最速153km/hを記録した[5]。シーズン終盤の9月19日に一軍に初昇格し[6]、9月24日の対オリックス・バファローズ戦(メットライフドーム)で9回から5番手でプロ初登板を果たしたが、2球で二死を取った後は12球連続ボールの3者連続四球を与え降板[7]。翌25日には一軍登録を抹消された[8]。2017年シーズンはこの1試合の登板のみに終わった。二軍では20試合に登板し58と2/3回を投げ、2勝5敗、防御率3.84の成績だった。

2018年は開幕一軍を逃すも、4月13日に一軍昇格を果たす。しかし、2試合連続で失点を喫してしまい、一軍登板はこの2試合のみでシーズンを終えた。

2019年は一軍登板無しに終わり、オフには背番号が「50」に変更された。

2020年は9月18日に一軍登録されると、同日に2年ぶりとなる一軍登板を果たした。9月26日の楽天戦では先発のショーン・ノリンがアクシデントでわずか1回で降板となり、2回から2番手として緊急登板。2イニングを投げ1失点こそしたものの、チームのピンチを救い、勝利に貢献した[9]。この年は6試合に登板し、防御率5.14という成績だった。

2021年は一軍登板無しに終わり、シーズン中の10月25日に球団から戦力外通告を受けた。12月8日、メットライフドームで開催の12球団合同トライアウトに参加し、シート打撃で打者3人との対戦で安打を1本打たれたものの、参加者の中では古川侑利に並んで最速の球速149km/hを記録した[10]

社会人野球時代

2022年より、社会人野球クラブチームジェイファムに加入してプレーを継続していたが[11]、同部は2023年をもって休部した[12]

2023年11月15日、鎌ケ谷スタジアムで開催の12球団合同トライアウトに、参加可能回数の上限である2回目の参加。シート打撃で打者3人と対戦したが、折下光輝からの被本塁打[13]を含む2本の安打を打たれ、結果を残せなかった[14]

BCリーグ・信濃時代

2023年12月7日、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の信濃グランセローズに、選手兼任の投手コーチとして入団することが発表された[15]

2025年シーズンは背番号が80番となっている[16]

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選手としての特徴

191cmの長身から投げるストレートは、大学時代に最速157km/hを記録した[17]。プロ入り後の最速は156km/h[18]変化球カーブを持つ[19]

詳細情報

年度別投手成績

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  • 2021年度シーズン終了時

年度別守備成績

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  • 2021年度シーズン終了時

記録

初記録

独立リーグでの投手成績

出典はリーグデータサイト[20]

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  • 2024年度シーズン終了時

背番号

  • 22(2017年 - 2019年)
  • 50(2020年 - 2021年)
  • 12(2024年)
  • 80(2025年 - )

脚注

関連項目

外部リンク

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