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中川久持
日本の江戸時代後期の大名 ウィキペディアから
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中川 久持(なかがわ ひさもち)は、豊後国岡藩の第9代藩主。
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略歴
安永5年(1776年)11月20日、第8代藩主・中川久貞の次男で、当時事実上藩主の代理を行っていた「若殿」久徳の次男として生まれる[1]。なお、幕府には明和8年(1771年)誕生として届け出が行われた[1]。幕府への届け出上、実際には安永2年(1773年)生まれで姉に当たる正室所生の純姫を妹としている[1]。
久徳は祖父の世子であったが、不行跡を理由に廃嫡され、その長男である久遠が世子となっていたが早世したため、久遠の弟である久持が祖父の世子に指名され、寛政2年(1790年)の祖父の死去により家督を継いだ。同年12月1日に従五位下、修理大夫に叙任する。
系譜
脚注
参考文献
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