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中川神社 (中津川市)
岐阜県中津川市にある神社 ウィキペディアから
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銀幣社 中川神社(なかがわじんじゃ)は、岐阜県中津川市に鎮座する神社。旧社格は村社。
祭神
概略
創建時期は不明。恵那山が天照大神の胞衣を収めた地(恵那神社)とされていることから、古くからこの辺りが神聖な地とされていたと考えられ、伊邪那岐命が生まれた地という言い伝えもある。
かつては白山社または薄野森と称し、木曽川の女神を祀ったのが起源であり、この女神が後に3柱の女神(菊理媛命・伊邪册命・木花咲耶媛命)に変更されたという説もある。 中津川市の産土神である。
現在の読みは「なかがわ」であるが、古くは「なかわ」「なかつかわ」と呼称していた時期もあり、中津川の地名の由来という説もある。
また、木曽川の支流の中津川を、古くは中川と呼んでいたという。例祭では、中津川太鼓、神代獅子などが奉納される。
「美濃古道御坂越記」や「中川舊記」によれば、元は熊野権現本社であったが再建の時に白山大権現(菊理媛命)を主に熊野(伊邪册命)・富士(木花咲耶媛命)の両社を相殿に奉祀したことが記してあり、大正寺[1]という別当寺が社を管理していた。
「美濃古道御坂越記」によれば、天正2年(1574年)、白山大権現が武田勝頼の東濃への侵攻の際に兵火で焼失したが、その中殿には白山、左は熊野、右は富士の相殿で、結構華美を極めた社殿と僧坊であったが焼討され、神主と社僧の墓だけが残ったとされる。
そのためか江戸時代、中山道の中津川宿の神社は3つ(八幡祠・白山権現祠・神明祠)となっており、中川神社の名は消失している。戦国時代の焼失から江戸時代初期の間に分祀されたと考えられる。
明治時代になって「白山権現祠」が中川神社とされ、明治6年(1873年)村社となる。
現在の本殿は延宝5年(1677年)の再建であるが、この時には拝殿などは再建されなかった。平成14年(2002年)に拝殿、直会殿が再建され、同時に境内の整備が行なわれる。
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所在地
- 岐阜県中津川市中津川4-816-1
交通機関
その他
参考文献
- 『中津川市史』 中巻Ⅱ 第五編 近世(二) 第八章 寺社 第一節 神社 一、古代の神社 p1583~p1587 中津川市 1988年
- 『中津川市史』 中巻Ⅱ 第五編 近世(二) 第八章 寺社 第一節 神社 二、中世の神社 p1587~p1592 中津川市 1988年
- 『恵那郡史』 第三篇 平安時代(中古後期) 第十二章 神社・佛敎 中川神社 p74 恵那郡教育会 1926年
- 『土岐市史 1 (原始時代-関ケ原合戦)』 第十二編 近世封建社会 第一章 安土桃山時代 ■北野白山大権現を焼く p397 土岐市史編纂委員会 1970年
脚注
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