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中村元雄
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中村 元雄(なかむら もとお、1839年10月15日(天保10年9月9日)[1] - 1903年(明治36年)1月24日)は、日本の政治家、大蔵・内務官僚。群馬県知事、貴族院議員、錦鶏間祗候。幼名は豊作、別名は平太夫、少介[1]。
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経歴
豊後国日田出身。町年寄・中村善右衛門の子[1]。咸宜園に入り広瀬淡窓に学んだ。明治元年(1868年)、日田県諸取調掛となり、同県大属、大分県権典事を歴任。1874年頃に大蔵省租税大属に転じ、租税寮七等出仕、大蔵省権少書記官、同権大書記官などを務めた。1886年、大蔵省主税局長に就任。
1891年4月、群馬県知事に就任。廃娼の方針を維持し、水利組合の設置や、養蚕糸業の振興に尽力した。1896年1月に知事を退任し、同年1月31日、貴族院勅選議員に任じられ[2]死去するまで在任[3]。
1897年1月、内務次官に就任。同年7月1日、臨時検疫局長官を兼任[4]し、1898年1月に辞職した。1900年5月9日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[5]。その他、大喪使事務官、鉄道会議議員、東京市区改正委員長などを務めた。
1902年、人力車から転落して赤十字病院に入院し、気管支炎を併発する。1903年1月24日、東京府北豊島郡滝野川村(現・東京都北区)の自宅で静養中に死去[1]。
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栄典
- 位階
- 勲章等
- 外国勲章佩用允許
脚注
参考文献
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