トップQs
タイムライン
チャット
視点

中華民国の国章

ウィキペディアから

中華民国の国章
Remove ads

中華民国国章は、1893年陸皓東が作成した青天白日旗を元にしており、1928年民国17年)に国民政府が施行した中華民国国徽国旗法によって制定された。

概要 中華民国の国章, 詳細 ...

構成

要約
視点

意匠

は「明るくまっすぐで気高く偉大な中華民族の性格と志」、は「正直さ・公正さ・潔白さ」を意味する。太陽の12条の光芒は十二時辰や十二支を表現しており、永遠を象徴するとともに、国民の進取の精神を表している[1][2]

様式

Thumb
中華民国国徽国旗法に記載されている制式

中華民国国徽国旗法では、国章について以下のように規定されている[3]

第2条

中華民国の国章は青天白日である。その様式は以下の通り。

  1. 円形で青・白色。
  2. 12条の光芒を有する白日が中央にある。
  3. 白日と光芒が青色の円で囲まれている。
第3条

前条各項の位置及び尺度は以下の通り。

  1. 白日本体の中心は青地の円形の中心と一致する。
  2. 白日本体の半径と青地の円形の半径の比率は1対3である。
  3. 白日本体の中心から光芒の頂点までの長さと白日本体の半径は2対1である。
  4. 白日本体と12条の光芒の間の青地の幅は、白日の直径の15分の1に等しい。
  5. 各光芒の頂角はそれぞれ30度で、12条分を合計すると360度となる。
  6. 光芒の上下左右の方向は北南西東の方向に揃えられ、それ以外は等間隔に配される。

白日の比率

Thumb
中華民国国章

中国国民党の党章は青天白日の意匠を用いており、国章と非常に類似している。党章は白日の光芒が外縁に接しているのに対し、国章の白日はそれよりも小さく、外縁には接しておらず、光芒の先端から外縁までの間には国章の半径の3分の1の距離がある[4][5]。この差異の理由は、国章が「無限に広がる青空、そして先人たちが国のために払った犠牲」を表現しているのに対し、党章は「太陽のように強烈で消えることのない、先人たちの革命精神」を表現しているためである[6][7]

1980年代以前の党国体制時代には、国章と党章はあまり厳密に区別されておらず、などの政府機関でもしばしば誤った比率の紋章が使用されていた[8]

中華(チャイニーズタイペイ)オリンピック委員会の会章および会旗1981年(民国70年)に制定されたが、そこで使用されている青天白日章の規格は国章・党章のいずれとも異なるものとなっている[9][10][11]。また、旧空軍旗(1937年から1948年にかけて使用)や中国青年救国団団旗(1952年制定)についても同様のことが言える。

汪兆銘政権

Thumb
汪兆銘政権が使用していた国章

日中戦争中に存在した南京国民政府(汪兆銘政権)は、重慶国民政府(蔣介石政権)と区別するため、中国国民党の党章の縁を赤い円で囲ったものを国章として使用していた[12]

Remove ads

歴史

北洋政府

Thumb
十二章国章中国語版

1913年(民国2年)から1928年(民国17年)にかけて、北京北洋政府十二章国章中国語版を国章として使用していた。これは皇帝礼服である袞衣に使用される12の模様「十二章」を西洋の紋章に落とし込んだものである。

1912年8月、臨時大総統袁世凱教育部周樹人銭稲孫許寿裳中国語版に共同で国章を制作するよう命じた。銭稲孫が図案のデザインを担当し、周樹人が十二章のそれぞれの解説を記した[13]。国章は8月28日に完成し、翌1913年2月に正式に国章として定められた。

国民政府

Thumb
陸軍軍官学校校旗

1924年(民国13年)、黄埔軍官学校陸軍軍官学校)の総教官である何応欽は、赤地の中央に青天白日の意匠を描いた円を配した校旗をデザインし、校長の蔣介石によって正式に採用された[14]

1928年、北伐を終えた国民政府10月23日中華民国国徽国旗法を公布し、国旗と国章を正式に制定した[4][5][6]。この時、陸軍軍官学校校旗の中央に描かれている青天白日の意匠がそのまま国章として採用された[14]

Remove ads

使用

国章が使用されているシンボル

軍事

競技

政治団体


宗教

脚注

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads