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久下田城

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久下田城
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久下田城(くげたじょう)は、茨城県筑西市樋口にあった日本の城。茨城県指定文化財(史跡)。

概要 logo久下田城 (茨城県), 別名 ...

概要

天慶年間(938-948)、藤原秀郷平将門追討のために築いた三館(上館・中館・下館)[1]のうち上館にあたるという伝承がある。

結城水谷宇都宮氏の対立が深まっていた天文14年(1545年)、下館城主の水谷正村(蟠竜斎)が北方の宇都宮氏から下館領を守るため、下館城の北に築城した。

歴史・沿革

  • 天文14年(1545年)、下館城主の水谷正村が築城。
  • 天文年間、宇都宮家臣の八木岡伊織を大将とする約200騎により攻められるも、水谷正村がこれを撃退。
  • 天文年間、宇都宮家臣の武田治郎を大将とする約3,000騎により城められるも、結城氏の援軍を受けた水谷正村が撃退。
  • 元和元年(1615年)、いわゆる一国一城令が出される(これを受け久下田城も廃城か)。
  • 寛永16年(1639年)、下館藩水谷勝隆備中国成羽藩に転封[2]

構造

栃木県旧・二宮町(現・真岡市)に接し、東に勤行川が流れる台地上に建つ。筑西市樋口の城山一帯が城域で、往時は二宮町の台地を含み大規模な城下を構成していた。

考古資料

遺構

二の丸跡が公園となっており、それを囲むように2つの曲輪が残る。空堀、土塁のほか、現在は用水路となっている水堀など多くの遺構が現存している。

脚注

関連項目

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