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久徳知至
日本の陸軍軍人 ウィキペディアから
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久徳 知至(きゅうとく ともよし、1889年(明治22年)2月3日[1] - 1972年(昭和47年)5月31日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
1889年(明治22年)に大阪府で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期卒業[1]。1934年(昭和9年)に陸軍科学研究所所員となり[2]、1936年(昭和11年)に陸軍工兵大佐に進級した[2]。1938年(昭和13年)に工兵第7連隊長を経て[2]、1939年(昭和14年)3月に陸軍少将に進級し[2]、陸軍科学研究所第2部長に就任[1]。
1940年(昭和15年)に中支那野戦兵器廠長を経て[1]、1944年(昭和19年)5月に南方軍兵器部長となり[1]、太平洋戦争に出動。同年6月に陸軍中将に進級し[2]、7月14日に兼南方軍航空兵器部長[3]、9月29日免兼職[4]。1945年(昭和20年)4月6日に防衛総司令部附[5]、4月7日に第1総軍兵器部長に就任し[1]、終戦を迎えた。
栄典
- 勲章
脚注
参考文献
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