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九条尚経
室町時代・戦国時代の公卿 ウィキペディアから
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九条 尚経(くじょう ひさつね)は、室町時代・戦国時代の公卿。九条家の第15代目当主。後慈眼院と号す。法名は行智。道号は花渓。「尚」の字は、室町幕府の将軍・足利義尚より偏諱を賜ったものである。九条家が最も没落した時期の当主でもある。
生涯
応仁2年(1469年)11月25日、九条政基の長男として誕生。母は従三位智子(姓不明)。
文明14年(1482年)11月、父の政基から家督を譲られた。
明応5年(1496年)正月、父とともに家司の唐橋在数を殺害し、閏2月に勅勘に処せられた。
明応7年(1499年)12月21日、勅勘を解かれ、文亀元年(1501年)に関白・藤氏長者となる。
人物
日記『後慈眼院殿記』及び有職故実書『後慈眼院尚経公装束抄』を著した。
系譜
参考文献
関連項目
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