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二条教良

1234-1313?, 鎌倉時代中期の公卿。二条良実の子。官位は従一位・権大納言。二条と号した。勅撰集『続古今和歌集』以下に13首入集 ウィキペディアから

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二条 教良(にじょう のりよし)は、鎌倉時代中期の公卿関白左大臣二条良実の二男[2]官位従一位権大納言二条と号した。娘である二条教良女は歌人として名高い。

概要 凡例二条教良, 時代 ...

経歴

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

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従一位昇叙の背景

二条教良は年齢面から見ると二条良実の長男であった道良と同年生まれの可能性が高いが、母の出自が低いために道良夭折後は弟・師忠が家嫡として立てられたと推測できる。しかしこの時師忠はまだ幼児であり、師忠の生母も取り立てて出自が良いとも言えないため[5]良実の判断によって後嗣が決定されたのであろう。師忠は弘安10年(1287年)には関白となり、師忠の養子として家を継いだ弟・兼基永仁6年(1298年)に摂政、さらに翌正安元年(1299年)には左大臣から太政大臣に転じている。一門の長老としての待遇を受けた結果の従一位昇叙であると考えられる。

系譜

脚注

参考文献

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