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五十嵐敬止
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五十嵐 敬止(いがらし けいし、1860年4月15日(万延元年3月25日[1][2])- 1931年(昭和6年)6月9日[3])は、明治時代前期の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員、衆議院議員。
経歴
多古藩の代官・五十嵐敬慎の六男[1][注 1]として下総国香取郡多古村(現在の千葉県香取郡多古町)に生まれる[4]。21歳の時に渡米し、帰郷後は養鶏業を営む[4]。1884年(明治17年)以降、多古村学務委員、同戸長を歴任する[5]。その後、千葉県多額納税者として貴族院議員に2度互選され、1890年(明治23年)9月29日[6]から1897年(明治30年)9月28日および1904年(明治37年)9月29日[7]から1911年(明治44年)5月24日[8]まで在任した[3]。この間、1897年(明治30年)より千葉県農工銀行頭取のほか日本勧業銀行創立委員、同監査役、同理事兼債券部長を務めた[4]。
ついで1911年5月の第10回衆議院議員総選挙では立憲政友会所属で出馬し、東条良平の死去に伴い補欠当選し1期務めた[9][10]。
親族
脚注
参考文献
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