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五十嵐甚蔵 (2代)

明治後期から昭和初期の銀行家 ウィキペディアから

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2代五十嵐 甚蔵(いがらし じんぞう、1873年明治6年)4月27日 - 1935年昭和10年)6月28日[1])は、明治後期から昭和初期の銀行家、農業経営者。貴族院多額納税者議員勲四等[1]

経歴

新潟県笹岡村(現・阿賀野市)の地主の家系で代々五十嵐甚蔵を名乗った。初名は直彦。1894年(明治27年)に慶應義塾を卒業後、1908年(明治41年)に新発田銀行取締役、同頭取、第四銀行取締役、榎並銅鉄株式会社取締役、新発田倉庫監査役、新潟新聞監査役、新潟県地主協会会長等となる。

品川弥二郎にじかに小作奨励を勧められ、1893年(明治26年)から蔵米品評会を実施した。

1925年(大正14年)新潟県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し[2]研究会に所属して1932年(昭和7年)9月28日まで在任した[1]

親族

脚注

参考文献

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