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井上なつゑ
日本の看護師 ウィキペディアから
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井上 なつゑ(いのうえ なつえ、1898年〈明治31年〉7月25日[1][2] - 1980年〈昭和55年〉11月13日[1][3])は、日本の看護師、政治家。参議院議員。看護師の地位向上に尽力した[1]。
経歴
兵庫県[1][4]加東郡福田村で、井上音松の娘として生まれる[5]。1913年(大正2年)京都産婆学校で修業し産婆検定試験に合格[6]。1917年(大正6年)日本赤十字社大阪支部病院(現大阪赤十字病院)救護看護婦養成所(現大阪赤十字看護専門学校)を卒業[6]。1922年(大正11年)同病院看護婦長に就任[6]。1924年(大正13年)応召して樺太陸軍病院で勤務した[6]。女子英学塾(現津田塾大学)修了後[3][4]、1928年(昭和3年)イギリスに留学し[6]、1929年(昭和4年)ロンドン大学ベットフォード女子専門学校公衆衛生看護学科を卒業した[3][4]。
帰国後、日赤大阪支部病院看護婦長、日赤中央病院看護婦養成部書記、女子学習院講師、厚生省研究所講師、日赤中央病院養成部副部長兼看護婦監督、公衆衛生院講師、日赤女子専門学校主事・理事などを歴任した[3][4]。
戦後、1946年(昭和21年)11月[5]、日本産婆看護婦保健婦協会(現日本看護協会)の初代会長に就任した[1][2][3][4]。1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補して当選し、その後、緑風会に所属して参議院議員を1期務めた[3][4]。
1968年(昭和43年)11月の秋の叙勲で勲三等に叙され、宝冠章を受章する[7]。
1980年(昭和55年)11月13日、死去した。82歳没。同月18日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって正五位に叙された[8]。
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著作
- 『保健婦事業の実際』国光出版部、1942年。
- 『アメリカ看護事業の一端』文光堂、1951年。
- 『わが前に道はひらく:井上なつゑ自叙伝』日本看護協会出版会、1973年。
脚注
参考文献
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