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井原勇

日本の政治家 (1926-2007) ウィキペディアから

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井原 勇(いはら いさむ、1926年大正15年〉11月17日[1] - 2007年平成19年〉10月7日)は、日本政治家与野市長(第8代 - 第12代〈最終〉)。さいたま市長職務執行者。

概要 生年月日, 出生地 ...

生涯

埼玉県北足立郡与野町(現さいたま市中央区)出身。旧制浦和中東京大学工学部を卒業後、新潟鐵工所に入社。新潟コンバータ取締役や大宮工場長を経て、1979年に与野市の収入役に就任した。1983年白鳥三郎の事実上の後継指名を受け市長選挙に立候補し当選、第8代与野市長に就任した。その後5期18年、さいたま市として合併するまで市長を在任した。

篤実な人物で、2001年5月の合体合併によるさいたま市設置に際しても、浦和方と大宮方の仲介役として、さいたま市の誕生に大きな役割を果たした。井原はさいたま市長選挙には出馬せず、合併直後の選挙で相川宗一が選出されるまでの短期間であるが、調整役としての手腕と中立性を評価され、さいたま市長職務執行者(期間限定の代理市長)に就任した。市長職務執行者の期間満了とともに政界から引退した。

2002年4月29日の春の叙勲で、勲三等に叙され瑞宝章を受章する[2]。2003年4月1日、さいたま市名誉市民として顕彰される。2007年10月7日、肺炎のため、さいたま市内の病院で死去した。80歳没。死没日付をもって正五位に叙された[3]

県市長会会長、県資産経営協会長等を歴任した。没後の2008年には中央区役所玄関にブロンズ像が建立された。

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脚注

関連項目

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