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今川氏睦

日本の江戸時代前期~中期の武士。江戸幕府旗本品川高寛(品川高久次男)長男で、同格今川氏堯養子。高家旗本今川氏3代当主(駿河今川氏15代当主)。従五位下侍従・丹後守 ウィキペディアから

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今川 氏睦(いまがわ うじみち)は、江戸時代前期の高家旗本。一門の品川家から養子に迎えられて家督を継ぎ、高家職(奥高家)に就任した。今川家15代当主[注釈 3]

概要 凡例今川氏睦, 時代 ...

生涯

寛文8年(1668年)、旗本品川高寛の長男として生まれる。延宝元年(1673年)、従兄弟である今川氏堯の死に際して末期養子となり、12月11日に6歳で家督を相続する。

延宝3年(1675年10月7日、将軍徳川家綱御目見する。天和3年(1683年7月13日[2]北条氏平の娘と婚姻する。元禄元年(1688年11月14日、高家職(奥高家)に就任する。このとき、従兄弟(血縁上は従兄弟の子にあたる)品川伊氏も同時に高家職となっている。12月15日、従五位下・侍従に叙任、刑部大輔を称し、後に丹後守に改める。

元禄2年(1689年)閏1月15日小姓に転任するが、閏1月26日に高家職に復帰する。徳川綱吉の時代には、こうした短期間での人事異動や、制度(高家の家柄の者が就任する役職は高家職のみ)に従わない人事がよく見られた。高家職復帰後は伊勢神宮日光東照宮への代参使や公卿の迎接にあたっている。

元禄6年(1693年10月13日、再び御小姓に転任するが11月23日に解任、高家職にも戻ることなく、表高家衆に列する。

元禄12年(1699年)6月25日死去、享年32。氏睦には子女がなかったため、伊氏の子の範高を末期養子に迎えた。

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参考文献

  • 寛政重修諸家譜』巻第九十四
  • 観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)

脚注

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