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今成泰章
日本のプロ野球スカウト ウィキペディアから
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今成 泰章(いまなり やすあき、1955年7月14日[1] - 2022年3月2日)は、日本のプロ野球球団スタッフ。東京都生まれ。プロ野球選手の経験はないものの、阪神タイガースや北海道日本ハムファイターズで長らくスカウトを務めていた。
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経歴
要約
視点
堀越高校時代は遊撃手や三塁手[2]、駒澤大学の硬式野球部時代には捕手としてプレー。駒澤大学への在学中に、全日本大学野球選手権大会で2度の優勝を経験していた。大学時代の同期生に、左投手の藤原仁がいる。ただし、選手としてのNPB入りは故障の影響で叶わず、卒業後の1978年に新卒のスカウトとして阪神タイガースに採用された。
阪神では、入団2年目の1979年に藤原を(当時のNPBで認められていた)ドラフト外で入団させたことを皮切りに、和田豊、平田勝男、中西清起、関川浩一、桧山進次郎、今岡誠などの獲得に尽力した[3]。1999年からチーフスカウトを務めた[4]が、スカウティングの方針を巡って当時の経営陣と対立。結局、2002年の8月末に依願退職の道を選んだ[5]。
2002年9月から埼玉県富士見市で「さんきゅう」という居酒屋を営んでいたが、旧知のスカウトからの説得を受けて、翌2003年に日本ハムファイターズ(翌2004年より北海道日本ハムファイターズ)の関東・東北地区担当スカウトとして球界に復帰[5]。須永英輝、押本健彦、ダルビッシュ有、大野奨太、杉谷拳士、中村勝、松本剛、上沢直之、大谷翔平、鍵谷陽平、太田賢吾、加藤貴之、野村佑希などの入団交渉を担当した[3]。
2005年には、浦和学院高等学校の3年生だった次男の亮太を、高校生ドラフト会議での4巡目指名を経て日本ハムへ入団させた。亮太も在籍中は捕手を務めていたが、2012年のシーズン途中に若竹竜士との交換トレードで阪神へ移籍。移籍を機にバッティングの能力を開花させると、内野手や外野手としても活躍した後に、現役引退(2018年)を経て2019年から2021年まで自身と同じく球団職員[注 1]として活動していた。
2022年の2月には、この年から日本ハムに監督として復帰した新庄剛志[注 2]による指揮の下で、上沢などが参加していた春季キャンプを視察。阪神のスカウトとして担当していた地区の違い[注 3]から獲得には携わらなかったものの、阪神への在籍中から折に触れて激励していた新庄に対して、「俺が(スカウトの立場で)獲得した選手を(試合で)使ってくれないか?」と冗談交じりで依頼する一幕も報じられていた。しかし、視察後の2月下旬頃に入院。キャンプ終了後(オープン戦期間中)の3月2日に、劇症型溶血性レンサ球菌感染症のため66歳で急逝した[1][6][7]。高校時代に対戦したスポーツライターの安倍昌彦によれば、5 - 6年前に前立腺癌の治療を受けていたという[8]。
花巻東高等学校からMLBへの挑戦を表明していた大谷をはじめ、「獲得が難しい」と見られる選手まで入団に導くほどの交渉手腕の持ち主で、阪神のスカウト時代から「マムシの今成」という異名を取っていた[3]。その一方で、スカウト活動と並行しながら、水谷フェニックス[注 4]の第3代代表・総監督[9]や富士見クラブ[注 5][10]の総監督を務めていた[11][12]。
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脚注
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