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仏滅
仏・如来の入滅・滅度のこと ウィキペディアから
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仏滅(ぶつめつ)とは、仏・如来の入滅・滅度、すなわち死のこと。特に釈迦の滅度を指していわれる。

仏滅の教義解釈
→「釈迦 § 入滅までの1年間」も参照
仏滅によって釈迦は涅槃に入った。釈迦の最期の言葉は以下であった。
大乗非仏説では、大乗仏教は上座部仏教よりも後発の宗派とするのが通説である。釈迦の直説は恐らく上座部仏教の教義に近いものだったと考えられているが、釈迦が説いた本来の仏教教義では浄土を想定せず、涅槃とは「苦の輪廻からの解脱を達成し、死後に天界を含めて二度と生まれ変わらないこと」だったと説明される。佐々木閑は釈迦の説く涅槃の意味合いについて「解脱し悟りを開いた者(修行完成者)だけが到達できる特別な死であり、二度とこの世に生まれ変わることのない完全なる消滅を意味する」「釈迦はこの世を一切皆苦ととらえ、輪廻を断ち切って涅槃に入ることで、二度とこの世に生まれ変わらないことこそが究極の安楽だと考えた」と説明している[1]。『ブッダチャリタ』では涅槃に入った釈迦について「地上においては老・死の恐怖はなく、天上においては天界から落ちる恐怖(天人五衰)はない。(中略)生があれば不快が生じる。再び輪廻に生まれないことによる非常な快以上の快はない。」と述べている[2]。
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釈迦の入滅年代
要約
視点
釈迦の没年は、仏教経典に「仏滅から○○年後にアショーカ王が即位した」と記述されるため、アショーカ王の即位年を基準に推定されている。しかし、釈迦の死後何年がアショーカ王の即位年であるかは典拠によって違いがあり、特に大乗仏教と上座部仏教の経典で100年以上の差がある。ただし北伝仏教の『歴代三宝紀』収録の「衆聖点記」に関しては上座部経典の伝える入滅年と同じ見解を採る。
日本の仏教学者の宇井伯寿や中村元は大乗仏教の経典に基づき、欧米の仏教学者の多くは上座部仏教の経典(パーリ経典)に基づいて没年を推定している。一方、『大般涅槃経』その他いずれの典拠においても釈迦が80歳で死去したとする記述は共通しているため、没年を決定できれば自動的に生年も導けることになる。
上座部仏教の本場スリランカに伝わる『マハーワンサ』や、上座部仏教で最も権威ある仏典注釈者ブッダゴーサの注釈によれば「仏滅から218年後にアショーカ王が即位した」と記録される。その記録に基づけば釈迦の入滅年は紀元前486年と導かれる。山崎元一は、古代インドのバラモン教側の歴史史料や、ジャイナ教側の歴史史料(マハーヴィーラ入滅から○○年後に○○王が即位した、○○が死去したなどの記録が多く残る)も踏まえれば、スリランカ上座部の伝える釈迦の没年(紀元前486年)が圧倒的に歴史学的根拠があると説明している[3]。
主な推定生没年は、
- 紀元前1029年 - 紀元前949年 : 「正法眼蔵」による説
- 紀元前624年 - 紀元前544年 : 東南アジア諸国で用いられる仏滅紀元(歴史学的根拠に乏しいとされる)
- 紀元前565年 - 紀元前486年 : 北伝仏教の『歴代三宝紀』収録の「衆聖点記」による説。中国に渡来した僧によって伝えられた入滅紀元に基づく。その僧は、仏典注釈者ブッダゴーサが注釈を付けた『善見律毘婆抄』(「仏滅から218年後にアショーカ王が即位した」と記録する)を漢訳した人物であることからスリランカ上座部の説を根拠にしていると見られる[4]。※この説では釈迦の享年は数え年で80歳、満年齢で79歳となる。
- 紀元前466年 - 紀元前386年 : 宇井説
- 紀元前463年 - 紀元前383年 : 中村説
等がある{{efn|仏滅年代論については異説が極めて多く、100種以上ある。
考古学による調査結果からの推定もあり、2013年にルンビニで紀元前6世紀の仏教寺院の遺構が見付かったと報道された[5]。この遺構の年代が正確であれば、釈迦は遅くとも紀元前6世紀またはそれ以前に存命していたことが確実となり、釈迦の生年を紀元前5世紀とする宇井説や中村説は否定されることになる。ただし、問題の遺構は必ずしも仏教寺院のものとは限らないとする反論もある[6]。
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脚注
関連項目
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